「マインドフルネス」は、最先端企業の研修に取り入れられている等で話題になりましたが
元々は日本の「禅」を発祥とした瞑想であり、それがアメリカで受け入れられて宗教的な文脈を外したメソッドとして有名になったものです。
マインドフルネスは、瞑想という行為も含まれていますが、それによってどういうところに至るのかというと、
自分自身が「存在」であり「魂」である、という感覚を思い出すところにあると私は考えています。
これからの時代は本当に
「この肉体だけが自分」と思っているか
肉体と共にある「魂」も含めて自分であるか
という自己認識の違いが、生き方を大きく左右していくでしょう。
肉体だけが自分と思っていると、肉体を生存させることを第一議とする「自我」の論理だけで生きることになり、さまざまな限界や歪みを生じさせることになります。
しかし、「魂」というもう一つの次元を自己認識に持ち込んでみることで、自分という存在がより立体的になり、
さまざまな人生背景や境遇、経験してきた出来事などが、全て意味のあるものとしてつながり、自分という生命と存在を全肯定できるようになります。
昨今「自己肯定感」という言葉が流行っているようですが、
肉体自我100%の認識で生きている限り、とりあえずの肯定感を上げた気にはなれるかもしれないけれど
揺らがない絶対的な肯定、つまり「根拠のない大丈夫感」を得られることはありません。
肉体はいつだって壊れやすく朽ちゆくものであり、死にゆくものであるがゆえに
自我は必然的にそれに抗おう、そうならないようにしよう!という不安を根拠に働くからです。
人は、あれが不安、これが不安・・・と、いろいろな不安材料があるから不安なのだと思っていますが、そうではありません。
自我そのものが不安なのです。
自分のことを肉体だけ・自我だけと思って生きている限り、不安から逃れることはできません。
だからこそ、本当に絶対安心・大丈夫の心境になりたければ、自分が「魂存在であった」という体感実感が必要なのです。
逆に、そこさえわかれば、いかに自我が根拠のない恐れに惑わされていたのか、ということにも気づけるようになり、
自我の愚かしさ・浅はかさに笑っちゃいながらも、その健気さ必死さに胸がほっこりしたりもするでしょう。
自我も含めて肯定してしまう、ということができるようになるのです。
自我と魂。
この二つをしっかりと見る目、感じる力を高めていくことが
これからの時代をのびのびと調和的に生きていくためのカギであるという思いを
はますます強くしている今日この頃です。
その「自我」を見抜くためのツールが
ビリーフリセット
「魂」を実感するためのツールが
マインドフルネス
ということです。
この2つは両輪です。
片方だけでは威力を発揮しません。
どちらも同時に回していくことで、まるで「ニワトリが先か卵が先か」のような、無限の循環が起こってくるでしょう。
「魂」というとこれまではすぐ
「えー宗教!?スピ!?アヤシイ!」
という反応をする人も多かったですが、それもこれまでの時代の刷り込みです。
私が言っているのは、特定の宗教とか、何かを崇めるとか、そういうものとはなんの関係もありません。
自分が自分のことをどう認識しているか?
というその一点のことを言っているのであり
その自分がどういう構えでこの人生を生きているのか?
ということの自覚を問うものであるのです。
そんな新しい自己認識と生き方をお伝えして、それを実践してくださる皆さんに増えていただくこと。
そうやって魂に目覚めて、次の新しい世界を作る一人一人として、重要な「キャスト」になっていただくこと。
そんな皆で、生命の力がそのままに生かされ、豊かに循環して巡る、新しい世界を作っていくこと。
それが私の望んでいることです。
この時代に生まれ、この稀有な転換の真っ只中を経験している私たちには、そういうお役目があるのだと思います。
そのための、マインドフルネス。
マインドフルネスは、単なる「スッキリ生産性向上!」だけではなく、そのような存在レベルの意味と重要性があるのです。
Youtube 対談公開中
師匠・岡部明美さんの「あけみちゃんねる」にお呼ばれして対談させていただいています。
後編はまさに「魂として生きる」がテーマ。
ぜひご覧ください。
前編はこちら