回るコマは
すごいスピードで動いていながら
中心に一本の軸があるからこそ
まっすぐ立っているかのように見えます。
私はちょっとSUP(スタンドアップパドル)
をやるのですが
不安定なボードの上に立つ時
足元は横へ揺れ、縦に揺れ
今にも転んで落ちそうになるけれど
その上でバランスをとって立つためには
自分の身体の肚(ハラ)あたりにある
「中心(センター)」の感覚をいつも感じて
その中心感覚に身体を乗せていると
安定するのだと
だんだんわかってきます。
今という時代、特に今年は
いろいろなものが激しく動いている時。
右と左、上と下、縦と横、アッチとコッチ・・・
あらゆる方向から
情報やら意見やら感情やらが
飛び交い、噴出し、ぶつかりあい
激しい濁流のように
私たちに押し寄せてきます。
そんな流れをマトモに喰らって
右からくれば「きゃ〜〜右!」
左からくれば「あれ〜〜左!」
とやっていたら
ただ振り回されて揺らぎっぱなしになります。
そんな時こそ
自分の中心をどこに置くか。
意識的に中心を定め続ける、
感じ続けることが大事かと思われます。
センタリング。
あるいは別の言い方をすると
チューニング。
自分がどこにチューニングを合わせているか。
難しいけどね。
そこに心の筋力を使うことが
今試されているのかな、と思います。
私自身がなるべく心がけていることは
いわゆる「世間」には巻き込まれない。
憂いもしない。闘いもしない。
しれっと離れて見送っている。
あっそう、ふーん。
でだいたい済ます。
心の落ち着けどころを
そんな「人間界」を超えた
もっと大きなところに置く。
それってどこよ?って言ったら
「自然」といってもいいし
「法則」といってもいいし、
「全体」といっても
「神」といっても同じ。
そんなようなもんです。
マインドが揺らぎそうになった時
そこに戻ると
いまここの「リアル」に
戻ることができる。
そう感じます。
リアリティとは何か。
それは、自分が何を感じているか
だと思います。
自分が何にチューニングして
一瞬一瞬何を感じて生きているか。
それが自分のリアル=現実
というわけです。
自分の現実は自分が選べる。
それは
自分が何を感じて生きるかを
自分が選べるからです。
「これを感じて生きることにしよう!」
と、自分が意図を立てることが
できるからです。
そんな「選べる自分」であり
「意図を立てられる自分」であると
思い出すことが
これから必要になってくると思います。
それは、漠然とした無力感からの
脱出でもあります。
つまり
もうそんなに苦しみばっかり
選ぶ必要もないし
ましてや赤の他人に
自分のチューニングを
撹乱されたり乗っ取られたり
してる場合じゃない。
自分のチューニングに自分が責任持つ。
苦しみではなく
安らぎを選ぶ。喜びを選ぶ。
これからの時代を生きるのに
必要な力だと思います。