昨日から突然はじまったマイブーム、「心理・瞑想・スピリチュアル」三題噺の続きです。
前回はこちら
スピリチュアル系アプローチ
今が苦しい、しんどい、生きづらいとしたら。
その根っこをどこに見て、どこからアプローチするかというのはそれぞれあって。
すごくスピリチュアル寄りだと、アトランティスだとかレムリアだとか出身の星(!?)だとかに見るのかもしれない。
まあ、ついてけない人もいると思うけど(笑)それを仮に「宇宙系スピ」と呼ぶとして。
そこにちょっと人間レベルも混じってくると、過去生のトラウマ、歴史的集合無意識とかになるのかな。
ともかく、そういう大〜きなところに根っこを見て、そこにエネルギーでアプローチしたりするのは、たいへんそうではあるけど、実はけっこう本人の気持ちの上では「楽」だという側面もあります。
なぜなら、直接今の自分に関係ないからね。
今の自分の嫌なところ見るわけじゃないから、実はそんなに痛くない。
むしろ壮大でちょっとロマンがあったりもする。
そこのレベルで癒されたいという人がいてもいいですし、それで解決するならなにより。
あと、神様とか龍とかのパワフルな存在のサポートを頼む発想もありますね。
それはそれでいいと思う。
チューニングを整えることは大事だし、サレンダーや他力によって運ばれる場所というのもあるしね。
それで「苦しい、しんどい、生きづらい」の元まで消し去ってもらえると思えるなら、それもいいでしょう。
瞑想系アプローチ
で、次に瞑想系のアプローチもありますよね。
とにかく「空(くう)」とかがダイレクトにわかっちゃえばいいんじゃね?っていう。
それがわかれば、苦しみやしんどさは氷解するんじゃないかっていう。
たしかに瞑想も大きな力になると思う。
苦しみだと思っていたソレはそもそも実体がなかった!ってわかることは、たぶんけっこう大事なこと。
そういうあたりを「空(くう)系スピ」というとして。まあ、ワンネス系・非二元系と言ってもいいですけどね。
これもねー、ある意味「楽」だと思うんですよ。
もちろん、ある程度の継続的な努力が必要だったり、いきなり「空」とか言ったってなかなかさー、っていう難しさはあるけれども。
自分の痛いところを直接見なくていいっていう意味で、そんなに痛くない。そういう意味でわりと楽といえば楽だと私は思います。
なんか高尚でカッコいい感じもするしね。
で、もちろんこれで解決する方はOK!
でも、私の個人的な見解ですが、瞑想だけやってても手が届かないような領域があるような気がする。
それはつまり、感情の抑圧や根深いビリーフ。
そこに光が当たらず、手付かずのまんまだと、結局抑圧は抑圧のまま。ビリーフはビリーフのままなんじゃないかっていう気がするんだよねー。
それが手付かずのままゴリゴリ瞑想をやりこむと、潜在意識のシャドウのようなものが暴発するんではないか?それがいわゆる「魔境」といわれるものだったりするんじゃないか?・・・というのは私の推測ですが。
だから自我レベルで抑圧やビリーフきつい人は、やっぱり次の「人間ごと」もちゃんとやった方がいいんじゃないかと思ってます。
心理学系アプローチ
上記がスピリチュアル領域であり「魂ごと」であるなら、もう一つが「人間ごと」です。
それが心理学ということになります。
心理学といっても幅は広いけど、総じて心理学が扱うのは人間の「自我」です。
自我というのは、生まれ育ちの中でさまざまにくっついてきた生存戦略の総体のようなもので、いわば「魂」が本来の自分だとしたら「自我」はあとから着込んだお洋服あるいは鎧。
だけど人間生きてると、このお洋服が重くて重くて、キツくてヘンテコリンで、似合わなくて、でも脱げなくて、それが「苦しい、しんどい、生きづらい」っていうやつなんです。
その「自我」の構造についての考察や見識が心理学なんだと、私は捉えています。
あくまでも私の見方ですけどね。
だから、「苦しい、しんどい、生きづらい」を解決したかったら、この複雑にこんがらがった自我をなんとかしましょうぜ!っていうのが心理学的アプローチ。
ビリーフリセット心理学が扱っているのも、まさにそこです。
「人間ごと」は痛いんだよね
で、さきほども書きましたがここの領域は、「人間ごと」であり地上の領域。
この領域での最大の鍵は、感情と思考。
そして「親子と家族」なんですよ。
人間は誰しも赤ちゃんからスタートだから。
赤ちゃんは親と家族のもとに投げ込まれ、生存を親に託して育つほかないから。
だから心理学では「苦しい、しんどい、生きづらい」の元を、親子と家族からくる感情と思考のもつれに見ます。
「親子のもつれ」じゃないですよ。
親子関係をきっかけとした、ご本人自身の「感情と思考のもつれ」です。
ここではインナーチャイルドという概念が重要になります。
そこをほどくことで、解決しようっていうわけですね。
私の現場の実感ですが、これはやっぱり強力です!
だいたいのことが、やっぱりそこか!結局そこか!ってなもので、もうみんなそこで詰まりまくり。
自覚の有無はともかくとして、もうほんとにみんな、まずそこだから!しつこいくらい、だいたい、ほとんど、そこだから!
でもね、ここみんな嫌なんだよね〜。
ぜんぜん楽じゃない。
ここに目を向けるのを無意識に避けている人も、とってもたくさんいます。
だって、まさに今ここにいる自分のことであり、そこにいる自分の親のことだからね。
見るのが怖い。
ほじくるのは、痛い、辛い。
泥臭くてカッコ悪い。
できれば避けて通りたい。
そんなかんじの領域です。
そこだけはカンベンしてほしい。
どうにかしてそこを通らずになんとか・・・!
そんなふうに思う人も続出するくらいの領域です。
でもだからこそ!
ここがいかに大きいかということです。
私はそう思ってる。
人間として生まれたからには誰もが背負うことなので、まずこの「人間ごと」をクリアしないとねーって思ってる。
「お空や宇宙の領域」「魂ごと」もいい。
その感覚をわかっているのもすばらしい。
でも「自我の領域」「人間ごと」を見ないままでは、半分落としてることになるんじゃないかって思うの。
そこにこそ、肉体を持って生まれてきた「魂」としての私たちのテーマがあるのでしょうから。
で、まさに「苦しい、しんどい、生きづらい」のはその自我が起こしてることですから。
苦しいなら、苦しいの元に突撃したら早いじゃんね?ってことなんです。
早くなくてもいいなら、いいんですけどね(^ ^)
でも自我だけで自我を超えるのは難しい
けれど一方で、自我・人間ごとだけやってても、なかなか自我から脱出できない。
前回の記事で書きましたが、「スペース」をとるのが難しいんですよ、自我だけが自分だと思ってると。
だからこそ、スペースを取る練習である「瞑想」と、人間は肉体・自我だけじゃないという視点である「スピリチュアル」が、それぞれに役割を果たすのだと思います。
どれかじゃなくて全部
というわけで最初のお題に戻りますが、
今が苦しい、しんどい、生きづらいとしたら。
その根っこをどこに見て、どこからアプローチするか。
宇宙レベル・スピレベルに求めるのもいいですが、
そんな遠回りしなくたって、意外と自分の感情のホントのところを感じたり、親とのこと見た方がすぐだったりすることもありますよ、と思います。
今の自分で「人間ごと」もちゃんとやったらいい。
その上で、それをしっかり見れるためには瞑想力っていう基礎体力も必要だし、「魂としての本質」を知っているスピ領域も土台としてあるといいよね、って思う。
それが私の、心理学と瞑想とスピリチュアルの捉え方です。
「人間ごと」の心理学。
「魂ごと」のスピリチュアル。
そして「人間ごと」と「魂ごと」をつなぐ瞑想。
どれもいいよね。
「どれかだけ」より、全部あったらもっといいよね!