穢れを祓い、罪を祓うとは
いったい何を祓うことだろうか?
罪とは
アレすることとかコレしてしまうこととか
何か特定の行為や出来事であるように
私達は思っているけれど
その定義を見直してみるのはどうだろうか。
祓われるべき穢れや罪とは何か?
それは
自分の中で赦されていないこと
もの、感情、あらゆる全て。
そう観てみるのはどうだろうか?
他人が許さない、世間が許さない、
というその罪ではない。
それは、人間界においてのみ
定められたモノサシによる定義にすぎない。
それはそれとして
もっと大きな目で観るのなら。
自分の過去やあらゆるものに対して
恥や否定や自責の思いを持っているなら
それこそが罪というもの。
行為や出来事ではない。
その行為や出来事に
自分自身で感じている、恥や否定や自責。
それが「罪」。
そして、こちらとあちらを分け
あれとこれを分け
垣根を立てて狭いところに固着する
そのこだわりが「穢れ」。
それらこそが祓われるべきもの。
なぜなら
それらは、今ここのゼロにないからだ。
過去や未来に
ドロドロと重く暗い影を落とし
こちらとあちらに
ガチガチと隔たりを作る。
それを祓うなら
ただ今ここのゼロだけになる。
その今ここのゼロが、清浄なのだ。
祓い清める、とは
ゼロになることだ。
恥や否定や自責を祓い
こちらとあちらの垣根を祓い
ただ今ここにまっさらなゼロとなる。
その地点だけが
一瞬先の未来の方向を変えられる。
だから今ここから
何度でも生き直せる。
私たちはこの一点で
本来清浄である。
祓い給え、清め給え
今ここに
清浄なゼロとなれ。