「向いている」ってどうやってわかる?
何かのことに「向いている/向いていない」。
それぞれの人にとって
いろいろな「向いてる/向いていない」があります。
それが個性であり、才能というものですね。
同じことを同じように習っても
さっさとできてしまう人と
なかなかできるようにならない人といます。
習っていないけど、なんとなくわかることと、
習ってもサッパリわからないこととがあります。
「向き、不向き」というのは
やっぱりあるのです。
もちろん、趣味や楽しみでやる分には
「向き、不向き」よりも
好きだったらやればいいので
そんなに問題にはなりません。
でも、何かコレという道で何らかの結果を出したい、
その道の人になりたい・・・・
という望みを立てるならば
「向き、不向き」というのは
けっこう重要なテーマになってきます。
そういう「向いてる、向いていない」
ぶっちゃけ「才能」というのは、
どういうところに現れるのか。
どういうところで判断できるのでしょうか。
一つには
教わる以上のことを
自分で学びとることができるかどうか。
というところにあると私は考えます。
別の言い方をすれば、
盗むことができるかどうか
ということです。
もうちょっとわかりやすく言うと
勝手にマネしてできるようになれるか
ということでもあります。
つまり
教わらなくてもある程度
盗んで、マネして、できること
というのが
自分にとって「才能のある分野」ではないか?
と、私は考えるようになりました。
マネする力
「学ぶ」の語源は「まねぶ」。
つまりマネすることだ。
というような話を聞いたことがあります。
人のやっていることをマネするというのは
「学ぶ」の基本なのですよね。
マネができるということは、
誰かがやっていることを
自分で見て、観察して、感じ取り、
自分で試して、体感して、納得して
その目でまた人のやっていることを見て
気づいて、さらに考えて・・・・
というプロセスを
自分で回すことができるということです。
この力があるとないとでは、
ものごとの習得の質と量がだんぜん違ってきます。
手取り足取り教わったことしかできない、
身につかないのでは、実際のところ
「伸びる、成長する」というところには
なかなかつながらないといえるでしょう。
「見て盗め」の本意
芸事や職人の世界では、
師匠はそれほど何から何まで教えてはくれません。
「見て盗め」という言葉が有名ですね。
これは、決して意地悪でも、
教えるのがめんどくさいからでもないのだと思います。
見て盗めるようなセンスを持った人が、
そのことに本当に向いているということであり、
本当にその道を行くにふさわしい人だということではないでしょうか。
逆に言えば
見て盗むことができないようであれば、
それは向いていないということだから
道を変えた方がいい、と。
そんな意味も、暗に含んでいるのではないかと思います。
プロレベルになる人の学び方
それは、私が長年
ピアノやアレンジを教えた経験からもわかります。
レッスンという限られた時間で
教えられることというのは、
実はほんのわずかなことでしかありません。
教えてもらうことだけしか
できるようにならないのならば、
実はいつまでたってもできるようにならないし、
知識も全く足りないのです。
「その道の人」つまり
プロレベルになることを目指すのであれば、
学ばなければならないこと、
できるようにならないといけないことは膨大で
先生が全部教えるわけにはいかないからであり
必要なこと全部をレッスンでやろうとしたら
何十年もかかってしまうでしょう。
レッスンに通って教えてもらいさえすれば
できるようになるわけではないのです。
本当に向いている人、才能のある人は、
師匠に教えられること以外に
自分で色々な人の仕事を見て、聞いて、
どんどん盗むことができます。
人のやっていることを見て、
まずは素直に驚くことができる。
そして、その人がやっている色々な技法や
その効果、こうすればこうなる、という法則性、
形にならないものの諸々を
「ははー、なるほど」と読み取ることができる。
そして、そこで感じたものを
自分で試してみることができる。
やってみて、そうか!と体得する。
そしてさらに工夫する。
これが一番の学びになり、力になります。
「自力・地力」です。
これが「盗む」という学び方です。
だから盗むことのできる人は、
師に教えてもらう機会と機会の間にも
どんどん自分で伸びています。
その上で、師に教わったなら
さらに刺激を受けて
自分の力を増幅させていきます。
だから、数年の勉強で
プロレベルにまでなっていくことができるのです。
そして、そんなことができるには、
まず前提としてよっぽど好きだということです。
好きでないと、そもそもそういう情熱は持てませんからね。
向いている人、才能がある人とは
そういう人のことです。
「マネする・盗む」ことができることは何?
ですから、自分が何に向いているのか、
「その道の人」として何の才能があるのかと考える時に、
一つの考え方として
「自分はどんなことだったら盗むのが得意か?」
と考えてみるのもいいかもしれません。
なにも音楽や芸術関係だけに限りませんし、
モノづくりの技能だけが「才能」ではありません。
人に気持ちのよいサービスを提供できるのも才能。
人に物を売ることも
人との間をつなぐことも
人に優しくできることも
人の手助けをするのも
人を支えるのも
笑顔が素敵なのも、才能。
お洋服やメイクのことを考えるのも
クルマのことばっかり考えるのも
自分をカッコよく見せることも
自分を売り込むことも、才能。
一人でコツコツ計算するのも、
研究するのも、設計するのも、
細かいチェックをするのも才能。
計画するのも、実行するのも、
全体調整するのも、交渉するのも、
困りごとを解決するのも、それぞれが才能。
あらゆることには、それぞれの才能を持った人がいて
あらゆる人には必ずそれぞれの
その人ならではの才能があると私は信じています。
本人がそれを才能と思っているかどうか、
ちゃんとそういう自分の特性を見つけているかどうかは別として。
だから、
自分がけっこう楽に
マネできちゃうような分野は何なのか、
人のやっていることを見て
盗むことができちゃう分野は何なのか。
そんな見方で、自分の才能というものを
考えてみてもいいのかもしれません。
☆旧ブログ「大人の音楽レッスン」より
2014年12月に書いた記事を加筆修正しました。