生きててしんどいとしたら
なんか窮屈でしょうがないとしたら
なんか力が出ないとしたら
なんかやる気がでないとしたら
自分の元々の性質とは違う生き方を
しようとしているからかもしれない。
たとえば
元々はとっても活動的で押しが強くて
みんなを巻き込むような力を持っているのに
いつかの昔
「そんな自分じゃダメだ」と封印してしまうと
おとなしくて目立たなくて
力のない、たいしたことない人・・・
のような姿をとって生きようとする。
でもそんなのって別人なんだよ。
本当の自分じゃない。
だからしんどいし、窮屈だし
力もやる気も出ない。
だって「元々の力を出しちゃだめだ!」って
塞いでいるんだから。
力が出ないのは当たり前だよね。
たとえば
元々はとっても繊細で感受性が強くて
花や生き物や人の心の声を
聴けるような力を持っているのに
いつかの昔
「そんな自分じゃダメだ」と封印してしまうと
普通で常識的で積極的で
しっかりしてがんばり屋の強い人・・・
のような姿をとって生きようとする。
でもそんなのって別人なんだよ。
本当の自分じゃない。
だから苦しいし、何も感じられないし
生きた心地がしない。
だって「繊細な感性を出しちゃだめだ!」
って塞いでいるんだから。
感じられないのは当たり前だよね。
「本当の自分」を殺すことが
この世で生きのびる方法だ
「元々の自分」とは違うものになることが
この世で生きのびる方法だ
と、私たちは恐ろしいくらい
信じ込んでしまった。
これまでの時代は、ね。
そうやってみんなが
「しんどい苦しい」と言って
どうにか毎日を生きのびてきた。
でも実は
それが真っ赤な嘘であったことに
だんだんみんなが気づいている。
生きのびる、なんてことは
今の私たちにはとっくに可能なんだ。
実はね。
だから、これからは
「生きのびる」なんてところを
ゴールにするより
存分に生きる。
このいのちの力を
思いきり生きる。
そこを望んでもいいんじゃないか。
「本当の自分」こそが
このいのちを生きられるんだよ。
「本当の自分」じゃないと
いのちは動いていかないんだよ。
「嘘の自分」を一生懸命やっている
その後ろで
実は気づかないところで
「本当の自分」が一生懸命
このいのちをつないでくれているんだよ。
ほんとはね。
だからこそ今
私たちは挑んでいかなければならない。
「本当の自分」を出したら、生きられない
という強固な思考のプログラムに。
自分の中に入りこんで
作動し続けているこのプログラムを
自ら打ち破っていかなければならない。
本当に生きられないのかどうか
自分で飛び込んで実験すること。
「本当の自分」で生きたら
何が起こるのか
身を投げるようなチャレンジを
していくこと。
そこに飛び込む勇気を持った人から
新しい人生が開かれ
新しい時代が拓かれてゆく。
「本当の自分」で生きないと
本当に生きていることにはならない。
「本当の自分」で生きていく
これからの時代は
それが当たり前になり
「常識」になっていくだろう。
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2017年6月に書いた記事ですが、
今、令和のはじまりに合ってる気がするのでリニューアルしました。