子供のそのまんまの個性はそれぞれ
私たち、誰でも子供だった時代があります。
子供は本来、そのまんまの元気と個性を
そのまんま外に出しているものですね。
やんちゃな子はとにかくやんちゃで。
好奇心旺盛な子はなんでもかんでも好奇心。
口が達者な子はいろんなこと言って。
知りたがりの子は「なんで?どうして?」ばかり。
お絵描きや一人遊びが好きな子は、一人の世界に没頭。
仲間と一緒が好きな子は、遊びにでかけたくてしょうがない。
元気系にしろ、静か系にしろ
その子だけの性質、個性、
それにもとずく行動の特徴があるものです。
個性というのは、言い換えれば
その子ならではの原初の「力と才能」でもあります。
もともと持っているもの。
それは本来「宝・ギフト」です。
どれが良くてどれが悪いということはありません。
いろんな石が、それぞれの色や硬度や性質を持つように
ただそれぞれ違うだけ。
そして、どの石もそれぞれに磨けば光る。
ほんとは、それだけです。
こうして「自分を出せない人」ができあがる
けれど、親にも親の都合があり
親なりの価値観や善悪のモノサシがあり
親自身の好みや、性格の傾向、
あるいは、心の奥の深い痛みや恐れもあります。
そういう諸々を持って子供を見るので
どうしても、子供のそのままの個性と力を
そのままには受け止めきれないこともよくあります。
自分と全く違うタイプの個性の子のことは
やっぱりわかりきれないし
「なんなの?」と思ったり
「これじゃダメなんじゃないか」と不安になったりもします。
「直させなきゃ」と力を入れたりもします。
親自身がとってもガマンを重ねてきた人ですと
子供がそのまんまを全開に出していると
わけもわからずザワザワして気に障ることもあります。
それで、怒ったり否定したりしてしまいます。
「そんなことするな!言うな!」
「そんなことしてるとダメになるぞ!」
「いけない子だ、悪い子だ、ダメだ、バカだ」
「そんな子はウチの子じゃありません!」
「そうじゃなくてこうしなさい!」
そうやって、
責める、否定する、禁止する
罵倒する、拒絶する、見捨てると脅す
矯正する、変えさせる、押し付ける
などとやってしまうのですね。
これは、そういう親が悪いという話ではありません。
親自身も自分を受け止めきれないまま大人になっていたりすると
他者(我が子)を受け止める器もそこまでになってしまうので、
しかたないのです。
精一杯やっていてもそうなってしまうのが
人間の限界であり、切ないところ。
そういうものなので、しかたがない。
しかたがないので、それでもいいのです。
しかたがないのですが、
子供の側としては
そうやって、本来の自分の個性と力を出すと
責められたり否定されたりするので
こんなふうに学ぶのです。
ああ、自分をそのまんま出したら、
嫌われるんだな。
怒られるんだな。
止められるんだな。
そうか、これは出したらいけないんだ。
わかった。
じゃあ、出さないようにしなくっちゃ。
こうやって
「本当の自分を出したら、嫌われる」
という典型的なビリーフ(無意識の信念)が設定されます。
だから、絶対に本来の自分を出さないようになるのです。
なおかつ
出したら嫌われるってことは
本当の自分はそれほどまでに
いけない、悪い、ひどいものなんだ。
隠さなきゃ。
バレたらぜったいマズイ!
そう思うので、
「本当の自分は、悪い、ひどい、欠けた人間だ」
という自己定義のビリーフが設定されます。
ビリーフとは、無意識で自分を動かす
基本プログラムのようなものです。
以降の人生、このプログラムに従って
悪くてひどくて欠けている本当の自分を
出さないように、バレないように
出して怒られないように、否定されないように
本来の個性も力も出さない。
よけいなことは言わない。
危ないことはやらない。
そんな生き方を重ねていくようになるわけです。
こうして「自分を出せない人」ができあがります。
「本当の自分はひどい」は本当か?
よくね、
ブログやfacebook、SNSで発信したいとか
自分独自の活動をしたいとか思うのに
怖くてできない・・・という方がいます。
そもそも私なんかムリムリ!
と決めている方もいますが、
(その場合また別のビリーフがあるので、またの機会に)
やりたいのに、なぜかできない。
やろうと思うのに、体が動かない。
つい、他のことが忙しくてなかなかねえ・・・
とか言っている方はだいたいの場合、
上記の2つのビリーフ、つまり
「本当の自分を出したら嫌われる(叩かれる・責められる)」
「本当の自分は悪い(ひどい・欠けた)人間だからバレたらマズい」
を信じています。
それだったら、発信はできませんよね。
したらマズいことになるんですから。
するわけがありません。
全力で「したくない」って言ってるのが無意識の本音なので
頭でいくら「自己開示!自己発信!ブランディング!」とかがんばっても
このビリーフを信じているかぎりぜったいにしないでしょう。
だけどね。
ここで考えてみたいのは
本当の自分て、そもそもそんなに
「悪く・ひどく・欠けて」いるのか?
ということです。
そういうとすかさず
「いやいや、だって、そうなんですっ!
実際アレも、コレも、あの時も、この時も、
私はこんなにひどいんですっ!
あの人にも、この人にもそう言われたんですっ!
どう考えても私は悪いくてひどいんですっ!」
と、いかに自分がそうであるかの証拠をゴマンと集めて
皆さん、自信たっぷりにおっしゃるんですけども(^ ^;;
(オイオイ、そこに自信持ってどうする・・・)
実はビリーフとは
一度脳にセットされると
その後もそれを実証するように
同じ現実を引き寄せてしまうものなのです。
だから、いつも、どこへ行っても
いろんな人から同じようなことをされて
同じようなことを言われて
「やっぱり私は・・・」とそのビリーフを何度も実証し
ますます確信を深めていくという構造になっています。
あなたはちっとも悪くなかった
でも、元をたどれば、そもそもの始まりは親。
親が、あなたのもともとの個性や力を
受け止めきれなかっただけです。
それほどまで、信じちゃったんですね。
「そのまんまの自分、本当の自分はヒドイ!」て。
「だって、お母さんに、お父さんに
あんなにダメって言われたもん。嫌われたもん!」て。
けなげな子供にとっては
お母さんお父さんはぜったいに正しいからね。
もう、神様同然だからね。
お母さんお父さんが自分のことダメって言ったら
ほんとに自分がダメなんだと思っちゃったね。
そういうお母さんお父さんの言ってることこそ正しいって
そのまんま信じちゃったね。
まさか、
お母さんお父さんの視野がそれくらいで
器がその程度だったから
なんて思えなかったよね、
そんなこと思ったら
お母さんお父さんへの冒涜だもんね。
神様のこと悪く言うなんてできないもんね。
しかたないね。
子供だもんね。
でも、大人になった今だからこそ
ちゃんと考え直しましょう。
あれは、お母さんお父さんが
自分の都合と好みと価値観と気分で
言ってただけです。
お母さんお父さんが、
その時精一杯の視野でものを見て
持っていた器精一杯の反応をしてただけです。
そこまで真に受けることないから大丈夫。
今はもう大人なのだから
お母さんお父さんは「神様」でなくていいのです。
お母さんお父さんも
悩み多く、迷い多く、偏り多く
それでも愛もあり、真心もあり、責任もある
一人の大人です。
あなたと同じ。
みんなと同じ。
一人の、ある一つの傾向を持った人にすぎないのです。
だから、もうその「信仰」
やめてみませんか。
お母さんお父さんを信仰すればするほど
自分を信じられなくなり
自己価値は低くなっていきます。
その向け先を自分にしてみませんか。
それが「自分を信じる」ということ。
もともと
あなたの本来の個性と力は、
ちっとも悪くなかったんです。
それはあなただけの「宝・ギフト」であり
力とエネルギーでもあります。
もうすでに持っているのです。
それを持っていない人はいません。
「持ってない」とか
「自分のに限ってゴミ同然だ」とか
言う人はいるかもしれないけど
それこそが、信じてしまった誤解です。
もしかしたら、あなた独自の色や形や性質は
必ずしもお母さんやお父さんの好みには
合っていなかったかもしれない。
お母さんお父さんには
あなたがどんな石かなんて
全然見えてなかったかもしれない。
お母さんはサファイヤが好きなのに
お父さんはダイヤが好きなのに
あなたは真珠だったりするのかもしれない。
でも、真珠だったら、
真珠が好きな人、真珠を必要とする人
真珠が求められる時と場、というのが
必ずあります。
そのために
あなたという真珠が存在するのです。
お母さんに気にいられるために
お父さんに気にいられるために
あなたが存在するのではありません。
あなたは大人になって親から自立し
広く世の中に出ていく人です。
世の中に、その真珠の光を輝かせていくことに
あなたという存在の意味があります。
生まれ育った狭いお家の中など
たいした問題じゃありません。
真珠の光をわからなかった家族だったとしても
それは真珠であったあなたが
悪いのでも欠けているのでもありません。
家族にはわからなかっただけ。
そしてわからなかった家族だったとしても
その家族が悪いのでもありません。
それが精一杯だっただけ。
でも世の中には
真珠を愛する人もたくさんいます。
真珠だから欲しい!という人もたくさんいます。
だから、その光をちゃんと出さないと。
そして、その力をちゃんと使わないと。
もったいないよ!!
待ってる人たちがきっといるよ!
私たちはもっと
自分のもともと持つそのまんまの個性と力を
存分に出していいのです。
出したほうが、結果として
誰かのためにもなります。
それが自分の使命(ミッション)になっていきます。
それはなにより、自分にとっても
最高に楽で、楽しくて、気持ちのいいことです。
もう隠さなくていいんだもの。
ウソつかなくていいんだもの。
大昔の、けなげな信仰とつまらぬ呪いに
いつまでも縛られていることはもうありません。
自分の中の宝を、力を確かに感じて
信じることの安心感。
それを出していくことの楽しさ、豊かさ。
もう、それを選択してもいいのです。