優等生がなぜ心の勉強を?
私の個人セッションや講座、あるいは夫の立花岳志と共同で運営しているTLI講座やワークショップに来てくださる方にはなんとなく共通の傾向があります。
絶対ではないですが、ざっと特徴をあげると
・子供のころからわりと勉強ができた
・親に迷惑かけることなくしっかりやれる子だった
・長男、長女も多い
・進学校やいわゆる「いい学校」に行って学歴が高い
・親の敷いたレールにきちんと乗った人も多い
・理系の人も多い
・大学院卒の人もわりといる
・名のある大手企業やいわゆる「いい会社」に勤めている(いた)人もわりといる
・留学や海外赴任などの経験者もわりといる
・それなりの役職やポジションでバリバリ実績を出している人も多い
・基本的に頭が良く、能力も向上心も高い
まあひとことで言って「できる子・できる人」
いわゆる、スペック高い。
つまり、優等生タイプですね。
つい数年ほど前までは、カウンセリングとか心の勉強とかって、なんとなく「心が弱い人」「依存的な人」「ちょっと社会からはみ出ちゃった人」「人生うまくいってない人」が行くところ・・・というイメージを持っている方も多かったようです。
そういうイメージからすると、上記であげたような優等生タイプの人物像って、全然違うんですよね。
だって、社会でバリバリ活躍してるし、メッチャ自立してるし、はた目から見たら
「人生うまくいってるでしょう〜。さぞ自信を持てて、満足して生きられてるでしょう〜。どこに問題が?」
と、見られてもおかしくはありません。
実際、昭和の親世代だったら、これこそ典型的な「幸せな人生」だと、当然のように思っていたようなことです。
しかし。
ではなぜ、そういう優等生の方々が、私たちのところに心のサポートや学びを求めていらっしゃるのでしょうか?
それは、優等生には優等生の苦しさがあるからです。
「いい子・できる子」がぶつかる壁
優等生は、あるところまでは優等生として馬力出して突っ走ることができますが、実はその「優等生をキープする」という努力の裏に、密かに犠牲にした諸々の「影」もあるのです。
その「影」とは。
本当の自分の気持ち。
本当の自分の願い。
魂として、生命としての、
もっと深い自分という存在。
多くの「いい子・できる子」達は、
親や求める価値や基準
他者の定めた価値や基準
を素直に信じて、それを達成するために自分の時間と力を思い切り注いできました。
そのために、子供の頃から多大なガマンを重ねていることも少なくありません。
それはもう当然のことになって、ガマンしているという自覚さえ全然なくなるほど当たり前になっていたりします。
自分のことはガマンし、親や世間の価値と基準に沿って努力し結果を出す、ということにおいて「優等」だったのが「優等生」です。
だからこそ、今の姿・・・「社会に適合し、世間さまにも胸を張れる、親にも心配かけないちゃんとした人」になれたわけです。
かつでの時代は、それでもよかったのです。
「本当の自分」なんてものを考えなくても、とりあえず目に見える形で「幸せ」とされているものが手に入ったら「うん、幸せかなー」と感じられる・・・・それ以上特に考えなくても済む時代もありました。
まあ多少モヤモヤしても、お酒や趣味で気晴らしすれば、また明日から同じ毎日に戻ってゆける。
「こんなもんだろ。そこそこだからいいんじゃない。」という人生、それもまた良し、であればよかったのです。
しかし、もう時代は変わっています。
それが本当に幸せなのかな?
なんか違うよね?
もっと何かあるんじゃないか?
という問いを持つ人も普通に増えています。
その問いを持ち始めた人は、こんなことを望むようになります。
本当の自分の気持ち。
本当の自分の願い。
魂として、生命としての、
もっと深い自分という存在。
それを知りたい!
そんな時期が人生に訪れた時、
苦しさ・しんどさ・虚しさ・違和感
といった感情としてそのサインが現れます。
・がんばるのに疲れた
・何でがんばっているのかわからなくなった
・どこまでがんばっても到達したかんじがしない
・いつまでたっても安心できない
・自分が本当にやりたくてやっているのかわからなくなった
・一通りのものは得られたけれど、本当に欲しいものではないような気がしてきた
・あれもこれも、もう違う気がする
・自分のやりたいことがわからない
・なんでこんなに人のためばっかりに消耗してるんだろう
・なんでこんなに人の言うことばかり聞いてるんだろう
・でも自分の気持ちがわからない
などなど。
それはけっこうしんどい感情なので「悩み・問題・よくないもの」としてしまいそうですが、実はこれは大事なサインです。
今まで眠らせてきた「本当の自分・深い自分」からのサインであり、アラームです。
「もうそろそろ出番くれよー!」
という、ね。
このヒトに出番を与えたらどうなるでしょうか?
それは
「ミッションを生きる自分」
になるのです。
優等生の切り替え時
これが、今までの「優等生自分」から、新しい「ミッションを生きる自分」への切り替え時です。
イモムシから蝶々へ。
脱皮です。
ええ? 優等生がイモムシなのか、って?
うん、そう言っていいでしょう(笑)
これまでやってきた「優等生」はまだまだイモムシ。
人生行程の前半です。
まだゴールじゃありません。
ムシャムシャ草食べて大きくなる、成長期です。
成長するのはいいけどさ。
何のためにそんなにムシャムシャ食って成長してたんでしょうか。
きっとね、蝶々になって羽ばたくため。
だからこそ、この「立ち止まってしまった今」というのは、「さなぎ」です。
再編成のための非常に大事な時期なのです。
この時期に立ち止まったことは、ダメになったことでも、悪くなったことでもありません。
ちゃんと「さなぎ」になってるんです。
さなぎの中で、蝶へと生まれ変わる準備が進んでいます。
大丈夫。
決して、これまでの「優等生」がいけなかったのではありません。
それはそれはもう十分に
褒めてあげて、ねぎらってあげていいことです。
よくやってきたねー。えらかったねー。がんばったねー。
ちゃんと力もついたねー。
実績も出して、人の役にも立ったねー。
よくやった、よくやった。
でも
なんのためにそのがんばりのエンジンを回してきたのか?
これが大事な問いです。
そこにこそ転換の鍵があります。
それを過去に遡って検証し
おお〜、こんなもののためにがんばってきたのかー!と愕然とし
もうそれ、やめてもいいんじゃね?と見切りをつけて
やめたーっ!と手放す。
そんなプロセスをたどって、晴れて次の時代
蝶としてはばたくステージに切り替わっていくのです。
その「さなぎ」のプロセスをやるのが、ビリーフリセット®のセッションということになります。
さなぎの時期はしんどいです。
動きがとれないからね。
自分が何になるのかも見えない、わからない。
かといって、もうイモムシには戻れない。
立ち止まってしまったこの時期の苦しさは
「ミッションを生きる自分」が心の奥でうずき始めている、その胎動の痛みです。
その内なる声をキャッチした自分がいるからこそ、立ち止まらざるを得なくなってしまったのです。
しかしあまりにも未知なるゾーンなので、簡単に答えが出るものではありません。
そこは優等生、もともと頭が良くてメッチャ自立型の方達ですから、もちろん人に頼る前に、とっくに自分であーでもない、こーでもないと考えたり調べたりしています。
当然ですね。
今まで何事も自分の力で解決してきました。
しかし、こればかりは
今までのパターンでは乗り越え難いゾーンなのです。
どんなに自分で考えても調べても
それでも答えが出ない。
だからこそ、意を決して
私たちのところへいらっしゃるのですね。
自力で全て乗り越えてきた自立型の方が、
ついにカウンセラーという他人に委ねてみることを選択する。
その勇気と本気は称賛に価すると思います。
「優等生」から「ミッション」へ
そうやって、さなぎの時期を乗り越え、
ようやく「本当の自分・深い自分」を主役に置いて人生を歩み始めた時
これまでの「優等生」として身につけ鍛えてきた、知識・能力・行動力・交渉力・達成力・忍耐力・継続力・・・等々あらゆる力は、こんどは自分が心から願うこと、描くヴィジョンを実現するための、最強のツールになるでしょう。
今まで培ったものがムダになるのではありません。
今まで培ってきたものを、なんのために使うのか。
その目的をシフトさせるということです。
イモムシである「優等生」時代。
それは既にある親や世間の価値観を満足させることによって、自分の身の安全を確保するための武器でした。
そこにはいつも「そうしないとダメになる」という恐怖が原動力としてありました。
蝶になってからの「ミッション」時代。
自分の心から湧き出る価値観を形にすることによって、自分の喜びと多くの人の喜びを一つにして生きるための創造の道具になるでしょう。
そこでは「そうしたらもっとうれしくなる」という喜びが原動力となるでしょう。
形としてやっていることは前も後も変わらないかもしれません。
しかし、明らかに自分を動かす原動力が変わっているのです。
見ている場所が違うのです。
それだけの力を培ってきた自分だからこそ
できること、わかることがあります。
その人生だからこそ切実に願った
自分ならではの願いがあります。
その場所から、新たに
今まで培ってきたモノを使っていくのがここからのステージ。
そのことが、どれだけの多くの人の喜びや幸せのご縁になっていくことでしょうか。
優等生の方々はそれだけのミッションを持った方々だと、私は信じています。
だからこそ、単なる優等生の姿にとどまっているだけではもったいない!
それがゴールではないのです。
もっと、培ったその力を
もっと、大きなもののために
もっと、多くの人のために
存分に使ってクリエイトできるものがあるはず。
まだ見たこともない、会ったこともない
深いところにいる自分というものが
自分自身の深い喜びとともに
その創造力を発揮したくてうずうずしている・・・・
そんな気がしています。
だからこそ、優等生のみなさんが
こうして自分に向き合い、心を探求することは
これからの世界の力強い希望になっていくのだと
私は信じています。