人の気持ちがわからない
「人の気持ちがわからない」
っていう悩み。
ある人にはあると思うんです。
人の気持ちを考えなきゃいけない
ってわかってるけど、
でも、実際よくわからない。
いちおう想像したりしてみるけど
なんか
的を外しているような気がして
自信がない。
私は人の気持ちがわからないような
鈍い人間なのかしら・・・
人情がわからない
薄情な人間なのかな・・・
なんて考えると
なんとなくシュンとしちゃう・・・
じつは、昔の私は
そんなかんじでした。
今でこそカウンセリングとかやって
人の心に深く関わって、
実際、人の心の動きとかその背景とか
それなりにわかるように
なっているけれど
ホント、昔は全然ダメ!
「だって
わからないもんはわからない〜〜っ!
私は人の気持ちがわからない
ダメな人間だ。。。」
って、かなり劣等感持ってました。
「こんな自分じゃいけない!
わかるようにならなきゃいけない!」
って、自分を責めてました。
そんなあの頃から幾年月・・・
今なら、はっきり言えます。
「人の気持ちがわからない」
のはなぜだったのか。
それは・・・
そもそも
自分の気持ちがわからない
からなのです!
心のカラクリとしては
自分の気持ちがわかればわかるほど
他人の気持ちもわかるのです。
自分で感じたことのある気持ちは
他人の中にも
感じとることができるのです。
「あー、アレだ」
「あの感じは、コレだ」
「そうそう!」
ってわかるんですよね。
逆に言えば、
自分の中で感じたことのないものは、
他人の中にあっても
感じることはできません。
自分の心がわかった分だけ
他人の心がわかる。
そういうものです。
だから、余談ですが
本気でカウンセラーやセラピストに
なろうとする人は
まず、徹底的に自分の心に向き合って
自分を見る必要があるんです。
自分の中の隠されたもの、
封印していたものまで
一つ一つ明るみに出して見とどけ、
未完了を解決し、
クリアにしていく修行が必須になります。
これをやっていないセラピストは、
クライアントさんの受容や理解が
浅くなったり
自分の未完了の歪みを
知らず知らずクライアントさんに
押し付けてしまったり・・・
ということになりかねません。
ちょっと余談にそれましたが、
というわけで
人の気持ちがわからないのは
そもそも
自分の気持ちがわからないから
というのは
そういうわけなんです。
私自身が
「人の気持ちがわからない」
で悩んだ人間だったから
すっごくよくわかります。
なぜ、自分の気持ちがわからなくなるの?
自分の気持ちがわからない
っていうのは
もう少し詳しくいうと
こんなかんじです。
自分がどう感じて
どういう気持ちで、
今どういう気分で
何に心が揺れていて、
うれしいのか、悲しいのか
怒ってるのか、寂しいのか、
何が好きで、何が嫌いで
何がしたくて、何がしたくないのか
そんなことが
サッパリわかっていない、
ということです。
モヤ〜としてしまって
考えようとしてもよくわからない。
なぜそんなことに
なってしまうんでしょう?
それは、あまりにも
「感じる」ということに
フタをしてしまったからです。
私たちはさまざまな理由で
「感じる」ことにフタをします。
敏感に感じてたら辛すぎるから、
というのも一つの理由。
さらに、現代社会に生きていると
「自分の感じ」なんてものは
取るに足らないものであると、
教え込まれます。
「そんなものにとらわれてちゃダメだ」と、
「自分の気持ち」なんてものは
よけて生きることが良しとされます。
ほんとは感じてても
「言うべきでない」と
抑えているうちに
「感じてること」なんかに
気づかない方が平穏だ、
と思うようになります。
そして、頭の中では
どうするべき
こうするべき
こうしちゃいけない
ああしちゃダメだ
ここはこうしといた方がいい
そうしとかない方がいい
こういう時はこうするもんだ
世間一般ではそうするもんだ
人がそう言ってるんなら
きっとそうなんだ、
みんながそうやってるんなら
きっとそれが正しいんだ
そういうことばっかり考えて
行動するようになります。
みーんな、自分以外。
他人、ひと、みんな、
世間、世の中、誰か、
常識、前例、論理、客観、
あらゆる自分以外の何か。
そこに正しさの基準がある
と思って、
それに沿うことしか頭にないから。
「自分の気持ちは?」なんて
考える余地が全然ない。
自分、完全無視。
「私はどうなのか?」なんて
見ない。
考えない。
振り向かない。
取りあげない。
気がつかない。
そうやって生きるしか
なかったんですね。
そりゃあ、「自分の気持ち」
わからなくもなりますね。
これも習慣だから。小さな練習を重ねよう
だから、
「人の気持ちがわからない」
と悩む人は、ちょっと待って。
人の気持ち、
わかんなくていいから!
わかんなくて当然だから。
今はそれでいいから。
まず、自分の気持ちに
目を向けましょう。
ちょっと立ち止まって
ゆっくり息を整えて。
私いま、どう感じてる?
どういう気持ち?
どういう気分?
何に心が揺れているの?
うれしいの、悲しいの
怒ってるの、寂しいの?
何が好きで、何が嫌いで、
何がしたくて
何がしたくないの?
って、
自分に聞いてあげてください。
特に、身体を意識しながら
聞いてあげてください。
身体の奥から
とーってもちいーさい声で
「こうなんだけど・・・」
って言っているような気が
するかもしれない。
「そんなの気のせいだ」
とか言わないで。
その「気」こそが
自分の本当の感性の声なのだから。
ちゃんと相手にしてあげて。
すぐには
聞こえてこないかもしれない。
それでもいいから
根気よく聞いてあげてください。
そして、かすかに聞こえてきたら
「なんだ、それは間違ってる!」
とか
「そんなふうに感じる自分がおかしい」
とか
「我がまま言ってんじゃない!」
とか
ジャッジ(審判)しないで。
ただ
「ああ、そうなんだあ。
そうだったんだね。
そう感じたんだね。
そりゃそうだよね。
わかったよ〜。」
って言ってあげてください。
大丈夫。
わかってあげた上で、
その通りするかどうかは
次に理性が決めればいいんですから。
話ぐらい聞いてあげようよ。
存在も無視して
相手にもしてあげないんじゃ
ヒドイよ!って話。
そんな歩みがだんだんと
「自分の気持ちがわかる」
というところへと
導いていってくれます。
そしたら
考えなくたって自然と
人の気持ちなんて
わかるようになっています。
そもそも
自分の気持ちがちゃんと
わかるようになれば
やたらに
「人はどうかしら、こうかしら?」と
アタフタしなくて
済むようになります。
そうするとね
だんだん余裕ができてきて
べつに
「人の気持ちがわからなきゃいけない!」
ってもんでもない
って思えるように、
私の場合なりました。
だって
どこまでわかるか、
わかんないかなんて、
それこそわかんないことだし。
そもそも、人の気持ちなんて
本当にはわかるものではないし。
わかる時に
わかる範囲でわかればいいし。
自分なりにわかればいいんだし。
わからないことがあっても
それで自分がダメになわけじゃない。
ていうか、
なんでもえーわ ( ̄∇ ̄)
そんな風に今は感じています。
そして、
「なんて人の気持ちがわからない人なのッ!!」
て、ムカッとくるような人のこともね。
よく考えたら、その人自身
ものすごく自分の気持ちを無視しすぎて
わからなくなっちゃった人なんだな
って思えば
そんなに腹もたちません。
「しょうがないな」って
ちょっと悲しくはなるけれども。
まずは自分からですね。
ゆっくり、聞いてあげてね。
(2014年の記事から)