映画「BLUE GIANT」見てきた。
音と映像がすばらしい。
本物のジャズの演奏を
そしてそこに表現されている
音楽のエネルギーを
よくあそこまで絵として表現したもんだ!
と思った。
そして、登場人物とストーリーの必然から
鳴るべき音と立ち現れるべき演奏を
よくあそこまで
上原ひろみさん達が演奏したもんだ!
と思った。
まさに音楽家としての自分じゃなくて
架空のその人物に成り切って演奏する
音楽による演技っていうのがあるんだ!
っていうことを知った。
日本中の多くの人がおそらく
ジャズなんてよく知らないだろうし
ジャズの生の演奏など
ちゃんと聞いたこともないだろう。
今現在のほとんどの音楽が
機械で作られていて
それはまるで食べ物にたとえたら、
添加物だらけで成形された
加工食品のような
そんな音楽しか
聞いたことのない人の方が多いだろう。
そんな今の日本という状況、
こんな時代の中で
人間が肉体一つで音を出して
生の人間の生命がほとばしる
まるで今そこで生捕りしてきた
天然魚のような
生の音楽に
スクリーンを通して
みんなが圧倒される体験をするって
すごいことが起きてると思った。
ジャズは「獣(けもの)性)が
強い音楽だと思う。
内なる「獣」を解き放って演る音楽。
だから
聞き手の内なる「獣性」に響く。
人間は本来、獣であり
とてつもない生命のエネルギーを
秘めた存在である。
このことを思う時、
私は大好きなあの曲を思い出す。
椎名林檎と宮本浩次
獣ゆく細道。
(歌詞の一部)
人間たる前の単に
率直な感度を頼つてゐたいと思ふ
さう本性は獣
丸腰の命をいま野放しに突走らうぜ
なんて痺れる言葉だろうか。
あの曲も、ジャズ。
(正確にはラテンジャズの範疇かもしれない)
獣性あふれるビッグバンドジャズが
歌のメッセージに完全に一致していた。
それがジャズである意味。
BLUE GIANTを見て
改めてそのことが腑に落ちた。
音楽は
人間の生命(いのち)の
ありようを映すものだ。
生の肉体と心と魂を一致させて
音を出す時
そこに生命と神と宇宙の一致が
立ち現れる。
BLUE GIANTは
そんな瞬間を、奇跡のように
アニメーションと音楽という
創作物によって
表現していた作品だった。