個人的には何宗でもないけど
仏教の言葉が好き。
抜苦与楽(ばっくよらく)
人々の苦しみを抜いて
福楽を与えること。
この言葉に涙が出そうになる自分がいる。
そして
「愛」より「慈悲」に琴線が触れる。
だって
人間は悲しい生き物だもの。
だって
人間は苦しむ生き物だもの。
こんなにひどくて
悲惨で
愚かで
悲しい
人間。
ああ、人間てやつぁ。。
そんなふうに
子供の頃からずーっと思ってた。
生まれた時から
私にはそのリアリティが強いから。
ていうか
生まれる前から絶望してるから。
ええ、人間絶望。
それはもう自分の基本トーンとして
通奏低音にずっとあると思うし
変わらなくてもいいと思ってる。
(ヒョンなことで変わってもいいけどねw)
だからね
人が何に悩んで、何に苦しんでるのか
なんで苦しくなってるのか
その苦しみも、それが生まれた背景も
私はすっごくわかるよ。
よーーーくわかる。
だって自分が苦しんできたし
苦しみの理由と構造を
ムキになって掘り下げてきたから。
だからこそ、
私は責めない。
こんなにひどくて
悲惨で
愚かで
悲しい
人間でも
その理由がわかるから。
責めないよ。
苦しみを苦しみとして
ただそこに置く。
「しょうがないよね」
「しかたがないよね」
切なくなりながら
ただうなずく。
それが私にとっての「慈悲」だ。
それは「愛」の一つの姿でもある。
だからこそ、
手の届く範囲で、せめて
その苦しみを抜いてあげたい。
それが私にとっての「抜苦」。
苦しみから抜けた先の
いのちの輝きと力を
信じている。
その苦の鎖から
解き放たれる姿を
信じている。
それが私にとっての「与楽」。
絶望しながら、信じてる。
絶望と希望は
私の中で同居する。
ビリーフリセット®︎理論とは
「苦」の構造について
徹底的に見極めた理論体系である。
ビリーフとは
苦しみを生み出す煩悩の核であるからこそ
それをリセットすることは
抜苦与楽そのものである。
いつまでも「苦」に
こだわるのもどうなのか
という気もする。
けど、やはり人の「苦」は
まだまだなくならない。
人の「苦」がそこまでわかってしまう私に
そういうお役があるなら
なんかそういう担当があるんだとしたら
やはりそれを
やることになるのだろうなあ。