子供の頃から私は
愚かで残酷で理不尽な行為を
歴史的に繰り返す人間の姿が
とりわけ目についてしかたがなかった。
歴史的に繰り返す人間の姿が
とりわけ目についてしかたがなかった。
なんで人間てこうなのだろう
なんで世界ってこうなのだろう
なんで世界ってこうなのだろう
絶望的な疑問が
心の底にずっとわだかまっていた。
心の底にずっとわだかまっていた。
そして、地の時代から風の時代へ
その変わり目に
その変わり目に
少しは人間と世界の仕組みについて
学んだ大人の自分として思う。
学んだ大人の自分として思う。
嘘をつく人間の方が
美味しい思いをしてきたのは
美味しい思いをしてきたのは
人間がもともと嘘つきだから
なのではなくて
なのではなくて
嘘をつく人間が作ってきた世界
だからだ。
だからだ。
その世界の中では
嘘をつく者こそが
王道を歩く。
嘘をつく者こそが
王道を歩く。
暴力で事を運んだ方が
結果を出せてきたのは
結果を出せてきたのは
人間がもともと暴力的だから
ではなくて
ではなくて
暴力を使う人間が作ってきた世界
だからだ。
だからだ。
その世界では
暴力を使いこなす者こそが
上席に座る。
暴力を使いこなす者こそが
上席に座る。
自然な生命の輝きが
圧倒的なカネの前に
押しつぶされていくのは
圧倒的なカネの前に
押しつぶされていくのは
生命がもともと弱く儚い
のではなくて
のではなくて
生命を何とも思わない人間が
作ってきた世界だからだ。
作ってきた世界だからだ。
その世界では
生命を踏みつぶした者こそが
利得を手にする。
生命を踏みつぶした者こそが
利得を手にする。
生きることに苦しみが常に伴うのは
生きることがもともと苦しいこと
なのではなくて
なのではなくて
苦しみを喜ぶ人間が
作ってきた世界だからだ
作ってきた世界だからだ
その世界では
苦しみをより喚起した者が
他を動かす。
苦しみをより喚起した者が
他を動かす。
そういうものだ
と思わされていた世界。
と思わされていた世界。
しかしこの世界は「そういうもの」
なのではなくて
なのではなくて
「そういうもの」として
世界を作ってきた人間が
いたということだ。
世界を作ってきた人間が
いたということだ。
そういう世界として作られていた
と観るならば
と観るならば
そうではない世界を
ここから作っていくことも
できると観ることができる。
ここから作っていくことも
できると観ることができる。
もともとの正直さ
もともとのやさしさ
もともとの生命力
もともとの喜び
もともとのやさしさ
もともとの生命力
もともとの喜び
人間はもともと
そのような存在であると
観ることができるならば。
そのような存在であると
観ることができるならば。
そのようなもともとの力を
信じることができるならば。
信じることができるならば。
それが他ならぬ「この私」に
満ちてあふれていることを
実感することができるならば。
満ちてあふれていることを
実感することができるならば。
そしてまた多くの人の内側に
同じ思いと力を信じて
響鳴させることができるならば。
同じ思いと力を信じて
響鳴させることができるならば。
雨粒一滴のようなその確信が
大地に滲み込み地下水となり
やがて大きな水脈となるだろう。
大地に滲み込み地下水となり
やがて大きな水脈となるだろう。
その水脈がいつしか深いところから
荒涼の砂漠を潤していくだろう。
荒涼の砂漠を潤していくだろう。
嘘と暴力で踏みにじられた
苦しみの大地に
小さな緑の芽が
ゆっくりと芽吹いていくだろう。
苦しみの大地に
小さな緑の芽が
ゆっくりと芽吹いていくだろう。
そんな世界を
見たくはないですか?
見たくはないですか?
そんな世界を作る一人に
なりたくはないですか?
なりたくはないですか?
私はなりたい。
そのための水の一滴になる。
そう決めている。