幸せとは、感じるもの。
自分が「幸せだなあー」って感じたら
それが幸せなんだ。
幸せとは、条件じゃない。
モノじゃない。
「これが幸せというものよ!」なんて
誰かが決められることじゃない。
いい学校ちゃんと行って
いい会社入って
30歳までには結婚して
子供は2人くらいいて
マイホーム持ってマイカー持って
たまに海外旅行行って
適度に昇進して
定年まで勤め上げて
定年後は悠々自適
というコースが幸せなのでもなく
それを得たら幸せになれる
というわけでもない。
そのコースの中で
自分が「あー、幸せ」と本当に感じたら
それは幸せだけれども
「まあこれが幸せなんだろうなー」
と思うのだったら
それはほんとに幸せなんだろうか?
昭和のお父さんお母さんたちは
そのアイテムこそが幸せなのだと信じて
十分満足できていたかもしれないから
彼らは本当に幸せだったのかもしれないけれども
彼らの言う通りにしてきたはずの
今のあなたがどうしても
幸せと言える気がしないんだったら
あなたは本当に今
幸せなんだろうか?
幸せとは
モノや条件のことじゃない。
アイテム揃えて得られるものじゃない。
お金がたくさんあったら幸せ
というわけじゃない。
やさしい彼氏やかわいい彼女がいたら幸せ
というわけじゃない。
明るくやさしく有能で
人に好かれる素敵な私になったら
幸せというわけじゃない。
これがあったら
これを得たら
こうなれたら
幸せになれるわけじゃない。
幸せとは、モノや状況で
証明できることじゃない。
これがあるから
これを得ているから
こうなれたから
幸せというわけじゃない。
だって
それがあるのに
それも得ているのに
そうなってるはずなのに
ちっとも幸せを感じていない
あなたなのだったら?
だからあなたは
まだこれが足りないから
これができてないから
こんな私になれてないから
まだ幸せになれてないんだ、って
まだまだがんばっているのかもしれないけれど。
幸せは
たら、でもなく
から、でもなく
のに、でもないんだ、
ほんとはね。
ただ、今、幸せと感じるもの。
なんのアイテムも条件もなしに
自分が幸せを感じているかどうか。
それだけ。
このことについて本当に考えてしまうのは
こわいことかもしれない。
あー、私
幸せじゃないかもしれない。
と気がついてしまうのは
たいへんなことだ。
「今まで」が色あせてしまうだろう。
本当の幸せを
探したくなってしまうだろう。
それを求めて
動きだしたくなってしまうだろう。
そうしたら
幾多の波風をくぐり抜ける旅が
始まってしまうだろう。
そして人生変わってしまうだろう。
それがこわい人は
やっぱり見なかったことにして
アイテムと条件と目に見える証拠によって
ほどほど幸せだと
思い続けていくのもいいでしょう。
それも人生。
そして、
見てしまった人。
気づいてしまった人。
認めてしまった人。
おめでとう!
本当に
「私が感じる」人生が
ここから始まる。
人に決められた「幸せ」じゃない
「私が感じる」私だけの幸せを
ここから
自分の手に取り戻していける。
あなたはそれをしてもいいのだし
それをする力もあるのだから。