音楽だけでなく色んな分野でのプロとしての在り方について、
こんな二つの言い方を聞いたことがある。
二つの立場と言ってもいいかもしれない。
1「お客さんに楽しんでもらうためにはまず自分が楽しまないとね。」
なるほど、もっともかもしれない。
それに対して
2「お客さんに喜んでもらうためには自分が楽しんでちゃだめなんだよ。
お客様のために徹底的に尽くすんだ。」
なるほど、それもそうなのかもしれない。
でも私は思う。少なくとも自分の作曲や音楽作りに関しては
どっちも一理あるし、どっちが正しいとかとかじゃないんだ。
むしろそんなことはどっちだっていいわ。
楽しかったら楽しめばいいし、楽しくなくたってべつにいい。
やることはやるんだし、できることはできるもんだ。
以前の私は音楽を作る時「こんなヴィジョンを描いて、こんな目標を立てて、
こういう心がけで、こういう精神状態にならなきゃいいものは作れないんだ!」と
思い込んでいた。だからそういう大層なお題目をいっぱい立てた上に
「心を整える」ための努力なんぞしたりしていたものだ。
「いいものを作りたい、作らねばならない」ので、そのための確かな道筋、つまり
「こうすればいいものができる」という<保証>が欲しかったのかもしれない。
だから逆に言えば、自分がそこから外れるのが怖かった。
そういうやり方から外れたらいいものはできなくなってしまう、
だめになってしまう・・・というような。
しかし、ある時からパッタリとそういうことをやめてしまった。
なぜなら、それらは所詮頭で考えた観念や概念であり、
「あらねば、やらねば」という狭い枠であり、
それは自分自身の実態からは浮き上がったものだということに気がついたからだ。
そして、観念をこねくり回して目標にすることも、
それを目指そうとして意識的な努力をすることも、
それに相応しい自分になろうとすることも、
全てその観念の中に自分を押し込めることにしかならず、
かえって本来の自分のエネルギーを押さえつけてしまうことに気がついたからだ。
今の私ならこう言う。
そんなことはどっちだっていいわ。
やることをやればいい。
やりたいと思ってももちろんいい。
それでできるかもしれないし、できないかもしれないだろう。
やりたくなくてもいい。
やりたくなくても、やれば、できるときはできるだろう。
楽しくても、楽しくなくてもいい。
こういう気持ちじゃなきゃできないなんてことはない。
こんな自分じゃなきゃいけないなんてことはない。
どうやったって自分の実態以上のものは出てこないんだから。
自分がやっている、それだけで十分だ。
そうやって余計なことは考えずに待っていれば、来る時には来る。
耳を澄ませば遠くから来る。
来ない時には来ないけど。
それは何も私が悪いわけじゃない。
結局いずれ来る。
「なんだかんだ言っても最終的にはできる」という根拠のない信頼を持っていることが
唯一のコツかもしれない。
そんな今は、べつに楽しくなくても、やる気がなくても、理想に燃えてなくても、
結果としていいものができている。
自分で言うのもなんだけど、昔よりいいものが楽にできている。
そんな実感と共に、観念ガチガチだった昔の自分を思い出しつつ、
なんだー、なんだっていいじゃん、結局!
と思い切り言ってみたくなった今日だった。