そんな気がする。
っていうのは、これまでの時代
まったくアテにならない扱われ方をしてきました。
根拠がない。
保証がない。
誰かが言った正解でもなく、
アナタがそういう気がするだけでしょ。
じゃあアテになんないね。
なんだよ、気だけかい。
じゃあ話にならないね。
気がするだけね。
あー、はいはい。
気のせいでしょ。
じゃあ幻想ね。
ね?
「気」っていっただけでこんなに
アテにならず
話にも問題にもならず
ウソか幻想で
まともに取り合うようなスジじゃない
って、みんなも自分も思ってきた。
そうじゃなかったでしょうか。
そして、自分以外のどこかに
確かな権威や証拠や正解を探して
それこそアテになるもので
信頼するに足るもので
それを拠り所とすれば
安心安全が得られるのだ
って、みんな思ってきた。
でもね、それをやってるとね。
いつまでたっても
自分のこと信頼できないんです。
つまり、自分で自分を信じられない。
てことは「自信がない」ってこと。
ほかならぬ自分が感じる「そんな気がする」を
キャッチする感性も錆びて
聞く耳もふさいで
信じて尊重する心も閉じていったら
ほんとに何を信じていいのかわからなくなるのも当然です。
だから、いっつも誰かの声を聞いて
「そういうんだったらそうなんだろう」
なんて信じて従って
それって、ほんとにそんなに信頼に足るものなんだろうか?
これまでかきあつめた知識や経験や前例
なんていう過去の遺物を一生懸命分析して
なんとか答えを出せてるつもりになるけど
それって、本当に信頼に足るものなんだろうか?
それは過去であって
今からの未来には関係なかったりする。
実は自分の「そんな気がする」が
自分にとって一番信頼に足るものだと
私は思っています。
「そんな気がする」をちゃんと聞けて
ちゃんとそれを尊重できて
それに従って選択・行動できたら
けっこうそれでよかったりします。
「そんな気がする」こそ
感性の声です。
感性は実はなんでもわかっているし
本当のことをちゃんとつかんでいます。
その感性の声を
「取るに足らない、アテにならないヤツ」
と決めつけて斥けてきたのが
これまでの理性偏重の時代のマインドです。
しかし、そのことで
どれほどのゆがみと痛みが生まれているだろう。
どれほど自分を失ってさまよってしまっているだろう。
今までの理性偏重の時代で作ってしまった痛みを癒し
よくわからなくなってしまった自分への信頼を取り戻すためには
「そんな気がする」を信頼していくことだと私は思います。
そんなにアテにならなそうなモノを信頼するのは
さぞかし怖いことです。
最初はあまりにもかすかな声なので
聞こえないかもしれませんし、
ちょっと聞こえたような気がしても
やっぱり斥けてしまう自分の理性の強固さを
改めて感じるかもしれません。
それもまた気づき。
こんなにも理性ってヤツは感性がキライで
感性の言うことなんて信頼してないんだな
って気づいてみるのもいいでしょう。
それでもなお「そんな気がする」を
聴き続け、尊重しつづけ
いつかは勇気をだして
それに従って行動してみるのです。
「そんな気がする」がいかに信頼に足るかを
自分自身の実験で、検証していくのです。
「そんな気がする」を拠り所に
自分の選択ができるようになったら
人生はとても楽しく生きやすいものになっているでしょう。