肯定があるところ、否定がある。
否定があるからこそ、肯定がある。
肯定しようと思ったとたん
裏には否定が張り付いている。
肯定は、否定と裏表で成り立っている。
肯定か否定か・・・
それ自体が思考のゲームだから。
もっと究極の自己肯定とは、
自己肯定を超えることだ。
肯定するんじゃなくて
ただ「いる」ことだ。
というか、
いることさえ忘れていることかもしれない。
生きているから
ただ
やるんだったらやっている。
感じるんだったら感じている。
やらないんだったらやっていない。
寝てるんだったら寝てる。
それだけ。
それだけのもんか。
たぶん、それだけのもんだ。
自分が自分であることのすべて。
まぎれもなく、生きている。
ただ、「いのち」でいる。
それが自分であることそのもの。
そこが究極に自在な自分。
それが肯定。
それは、さらにもっと大きい肯定。
肯定の枠の外へ。
もうなんにも考えない。