これはこういうものなのだ
こうするべきなのだ
無数の「なのだ」と「べき」と「いけない」が
だって、そうでないと
だめになってしまう
失ってしまう
嫌われてしまう
生きていけなくなってしまう
終わりになってしまう
死んでしまう
行き着く先は欠乏と死の恐怖
ほっとくとどんどんダメになる世界
その予想から逃れられないから
「なのだ」と「べき」と「いけない」を手放せない
だから生きてていつも
こわくてしょうがない
不安でしょうがない
他人が気になってしょうがない
自分が我慢するしかしょうがない
そうやって悩んでばかり
★
でも、たまにはね
自分の頭にこびりついた
「なのだ」と「べき」と「いけない」を
風呂上がりの犬みたいに
ブルブルッとやって
バラバラッと落としたいね
そうやってガチガチになった頭を
ゆるめていく
そうでなくてもいい
そうしなくてもいい
こうでなくたっていい
こうでもいい
こうなったっていい
こうならなくたっていい
べつにいい
どれもいい
あらゆることを
いっぺん「いい」にしてしまおう
これでいい
これじゃなくてもいい
それでもいい
そうじゃなくてもいい
やってもいい
やらなくてもいい
がんばってもいい
がんばらなくてもいい
できてもいい
できなくてもいい
笑ってもいい
怒ってもいい
ちゃんとしてもいい
ぐだぐだでもいい
ポジティブでもいい
ネガティブでもいい
どっちでもいい
どうであってもいい
結局ぜんぶいい
だいじょうぶ
そのくらい頭をゆるめても
私たちは暴走したりなんかしない
むしろ本当に平和になるだろう
「いい」と言われて頭がゆるんだら
意外と人が望むことは
シンプルなものに還るだろう
★
これでなくてもいい
それは究極
生きていること、それ自体に
「いい」といっていることであり
さらに究極
生きていても死んでいても
それでも
存在自体に
世界全体に
「いい」といっていること
いつもいつも
こんなことを思うのは
難しいかもしれない
私だってそれは難しい
でも
こんなにお天気がいい
秋分のこんな日だけでも
自分がここにいるという
ただそれだけのことに
みんながここにいるという
ただそれだけのことに
世界がここにあるという
ただそれだけのことに
なんかわからないけど
今、ここに、そのまんまあるという
ただそれだけのことに
「いい」と言ってみたら
きっといいな、と思ったのでした。
そして、
私がわざわざこんなこと
べつに言わなくてもいいんだ
でも、言ったっていいんだ
自転車で芝公園に行って
東京タワーのふもとでぼーっとしていたら
なんか、とりあえず
なんでもいいんじゃないかって思いました。