「現実的には」
「現実的に考えて」
「現実そうもいかないでしょ」
現実的に、って言われちゃうと、
私たち、なんでか急に
「あ、そうですよね、すいません」
みたいになっちゃいますね。
水戸黄門の印籠みたい(^^;;
現実さま!
ははーッ・・・って。
「現実、現実」と振りかざしていると、なんだかほんとに現実がよくわかった賢い人みたいな気分になれてしまう。
「現実、現実」と言っている人の方がたぶん正しいんだろう
なんて気にもなってしまう。
おもしろいね。
現実、現実っていうけれど。
でもさ、
現実ってなんだ?
実は。
人はどうひっくり返っても、自分の見ている目と考えている脳でしか、ものを考えられないから
現実っていうのも、あくまでもその人の思っている現実でしかない。
その人が現実ととらえているものが、その人が言ってる「現実」。
彼が「現実、現実」と言っているものは、あくまでも彼にとっての現実。
自分が「現実ってこういうものだ」と思っている現実は、あくまでも自分が想像している範囲での現実。
世の中には、自分の想像もつかないような現実を、現実だと思って生きている人もいるのです。
絶対的真実としての現実なんてものがあるかどうか、人間である私たちには知る由もありません。
だから。
ということは。
誰かに「現実的に考えろ!」と言われたとしても
それはその人にとっての現実の話をしているにすぎないので、気にしなくていいということになります。
例えば、一度も会社を辞めたことのない人は
「会社を辞めて行きていくのは難しい」というのが現実だと言うでしょう。
会社を辞めて自分の仕事が軌道に乗っている人は
「けっこうなんとかなるもんだ」というのが現実だったりします。
どっちが正しいか、じゃなくて、
どっちを選んで生きるか、です。
選んだ方が現実になります。
結局、自分の思考の枠組みの中で、自分が経験した過去、そしてその解釈の仕方のことを「現実的」と言っているにすぎません。
だから他人の言う「現実的」は、あんまりアテにしなくていいと思います。
そして自分の思っている「現実的」も、これまでの自分が知っている「現実」の枠の中にすぎないこと。
その枠の外には、もっとぜんぜん違う「現実」もあるかもしれないと考えてみるとよいと思います。
自分が現実をどういうものだと思っていて、そして自分はどういう現実を選ぶか。
それが重要なことです。