本当の気持ちって意外とわからないもの
私たち、
自分の本当の気持ちや感じていることが、
意外とわからないものです。
考えていることと、感じていることが
実はチグハグだったりしています。
たとえば
本当は疲れているのに
そうとは自分で気づいていない。
「大丈夫大丈夫。元気だよ。これくらい平気。」
口でもそう言ってるし、
頭でも、気持ちでもそう思っている(つもり)
でもなぜだか身体がいうこと聞かなくなって
どうにも動けなくなった時、やっと
「あー、私、疲れてたんだ!」と気づく・・・・
とか、ないですか?
その、「私、本当はこうだった!」をみつけた瞬間、
不思議とすごくホッとするものなのです。
「あー、わたし、疲れてた」
「そうか〜、そうだったのか〜」
これ、感じているものはネガティブなかんじなんだけど
でも、不思議とホッとして、
なぜか、なんとなくうれしいものなんですよ。
なんでホッとして、なおかつ
うれしいかんじさえあるのかというと
それが「自分の本当」だからです。
本当のことをみつけて
本当のことを認めてしまったからです。
ウソよりホントの方が楽
思考はいくらでもウソをつきます。
理屈、理論、常識、べき・ねば
などで論陣を張って
自分自身にもウソをつきます。
でも身体はウソがつけません。
身体には本当のことが現れます。
身体は、感覚や感情の窓口だから
本当の気持ちは身体を通して発信されているのです。
でも、思考はそれにも気付かず
「大丈夫大丈夫。元気だよ。これくらい平気。」
なんて言って突っ走って
結果として、身体や気持ちにウソをつくことにもなります。
でも、ある時
その突っ走りにストップがかかって
「あー、わたし、辛かった〜」
「そうか〜、そうだったのか〜」
と身体と気持ちの「本当」に気がついた時
こんなにホッとするのは
それが
思考のウソが剥がれ落ちたところでみつけた
真実であったことが、腑に落ちるからです。
もうウソをつかなくていいことを認めてしまって
楽になるからです。
私たちは「ウソ」より「ホント」でいることの方が
ずっと楽なんです。
自分の「本当」とつながった時
私たちはとてもホッとします。
しんどくても、悲しくても、辛くても
それでもなんだか、不思議とうれしい。
それがわかったことがうれしい。
「あー、これだったのか!」って。
「あー、つかまえた!」って。
これが自己一致というものです。
自己一致とは
自分が自覚していること(思考)と
本当に感じていること(感覚)が
ピタッと一致する瞬間。
あるいは、それが一致していること。
これを自己一致といいます。
わざわざそんな言葉ができるってことは
それほどまでに普段の私たちは
「自分の本当」がわからなくなってしまう、
ということであり
どれだけ一致していることが少ないか、
ということの裏返しでもあるでしょう。
頭で、いっぱい色々考えて
歪曲して、否認して、抑圧して、防衛して。
そうやっていると本当に感じていることが
奥の方〜〜へ隠れちゃうのです。
こうやって
考えている頭と、本当に感じている気持ちは
一致しなくなってしまいます。
この状態が、
悩みとか、苦しみとか、葛藤とかいう状態を生んでいます。
だから、まず
「自分の本当」を探し当てることが大事。
探し当てて
「あー、私こんなに○○だったんだー!」
ってバシッと感じてしまったら
それが自己一致。
そうすると、もう重荷の半分は消えたも同然です。
そこから
「じゃあ、どうしたい?」
「どうしていこうか?」
といった次への扉が開いていくでしょう。
自分の真実が自分を癒す
もう少し例をあげてみましょう。
深〜いところでは、ほんとは怒っているのに
「大丈夫、大丈夫。悪いのは私。私が気をつければすむんだから。」
と思っているのが、一致してない状態。
「あ〜!私、怒ってたんだ!」と
自分の中に怒りをみつけて
「これかー!」と認めるのが自己一致。
深〜いところでは、ほんとは寂しいのに
「大丈夫、大丈夫。一人の方が楽。こんなもんよ。」
と思っているのが、一致してない状態。
「あ〜!私、寂しいんだ。。。」
と自分の中に寂しさをみつけて
「これかー!」と認めるのが自己一致。
深〜いところでは、ほんとは辛いのに
「大丈夫、大丈夫。これくらい平気。けっこう充実してるよ!」
と思っているのが、一致してない状態。
「あー、私、辛いんだ・・・!」
と自分の中に辛さをみつけて
「これかー!」と認めるのが自己一致。
本当の気持ちっていうのは、
意外と実はシンプルです。
辛かったー!
寂しかったー!
つかれたー!
我慢してたー!
怒ったー!
やだったー!
やめたいんだー!
逃げたいんだー!
休みたいんだー!
これが欲しかったー!
こうしたかったー!
これが好きだったー!
見失っていた
そんなシンプルな気持ちを思い出して
ちゃんと感じて認めてあげられた時
本当にホッとして、うれしくなります。
それがネガティブな感情であってもね。
ネガティブであっても
それはほかならぬ自分自身が感じた
大切な真実だからです。
自分の真実が、
なによりも自分を癒すのです。