親のことを「それでいい」ことにできないと、
自分のことを「これでいい」ことにはできません。
親に対するゴチャゴチャとした思いが多ければ多いほど、
自分を縛るゴチャゴチャとした不自由が多いものです。
親に対するゴチャゴチャとした思いを
「ない」ことにして切り離すほど、
自分の中の力や愛が
「ない」と思いこんで欠乏に苛まれます。
今現在、周りにいる人たちとの関わりに苦しみがあるなら
心の奥には
遠い昔に親との間で苦しんでいた、子供のあなたの思いが
未だにもつれたままで放置されています。
だから
本当に心が自由になって
自分が自分として生きられるようになるためには
そして、自分にOKを出せるためには
心の中の親のことを片付けることが必須なのです。
しかし
ここはものすごい「見たくないブロック」が立ちはだかるところでもあります。
しんどいし、痛いし、嫌な感情がいっぱいあるし、
また「親のことを悪く思うなんていけない」とか
「そんなことを思う自分なんていけない」とかの罪悪感が
まるで妨害電波のようになって
すぐに意識をそらそうとさせます。
「いや、べつになーんにもないし!」と蓋をします。
それで一生逃げ切れるなら、それもOK。
でも、もう逃げきれないなと思ったら。
その時が向き合い時です。
これは私たちの心の中の親のことです。
リアルな親のことを意味しません。
たとえリアルな親がどれほど歳をとっても、
たとえこの世からいなくなっても
心の中にあいかわらず生き続ける、
あの親のことです。
心の中の親のことを片付けるとは
親に対する
期待や願望や理想
怒りや嫌悪や反発
恐れや負い目や罪悪感
哀れみや使命感や責任感
依存や癒着や同一化
それら一切
親のために使っている思考を一旦リセットして
一人の別な人間として
価値観も望みも生き方も違う人間として
受けとめ直すことです。
自分も自分自身の選択をしてこうなっていること
そして
親もまた親自身の選択をしてそうなっていることを
受け入れることです。
自分が自分自身の人生に責任があるように
親も親自身の人生に責任があることを
明らかに見ることです。
そして、そういう親として存在していることを
ただそれでいいと尊重することです。
親のことをどうしても許せなかった人にとっては
ある意味、
どう転んでもそうでしかなかった現実に
あきらめて降伏することでもあります。
この降伏は悪いものではありません。
むしろ、自分を自由にさせる降伏です。
繰り返しますが
これは私たちの心の中にいる親のことです。
リアルな親のことを意味しません。
心の中の親が
「ただそういう人」になった時。
そしてそういう人でOKだと思えた時。
自分も
周りの人たちも
そして、リアルな親でさえも
「ただそういう人」として
自然にそこにいてOKになるでしょう。
そして、
自分自身も「ただそういう人」として
何を選択してもよかったことに気づき
フッと肩の荷が降りるでしょう。