波風が立たないこと。
これを人生の最大目的にして
生きていることがある。
とにかく
波風が立たないように
丸くおさまるように
なにごともないように
そのために
あらゆる心配をし
先だってぬかりなく備えをし
あらゆる我慢を重ね
全方向に気を配って生きる。
それなのに
波は立ち
風はやってくる。
なんで!
こんなにやっているのに
まだ足りないのか。
まだだめなのか。
私の何が悪いのか。
波を立たせたアレが悪い。
風を起こしたアイツが悪い。
人生はうまくいかない。
なぜ波風が立つのだろう。
波風が立たなければ
幸せになれるのに。
もっと色々なことを知って
もっと色々なことができるようになって
もっと色々なことを悟ったら
波風が立たなくなる方法が
わかるのじゃないかしら。
波風が立たない幸せな場所
というところに
いつかは行けるのじゃないかしら・・・
そこへ行きたい。
行く方法を知りたい・・・
ちょっと待って。
海に来て
「波風立つな」という人がいるだろうか。
波と風が自然に起こるのが海というもの。
海に来たのに
「なんで波があるの!なんで風が吹くの!」
と言って怒る人がいるだろうか。
私たちの人生はきっと海なのだ。
波と風があるのが海なのだ。
地球の命が絶えず動いているからだ。
人生には波風がたつのだ。
それが人生という場所だ。
自分の命が絶えず動いているからだ。
私たちはきっと
海とわかって海に来ているのだ。
海に来て、波風のないところに行きたいと言うのなら
そもそも海になんてこなくてよかったのだ。
でも
波はこわい。
風はつらい。
たしかにね。
でも、海に来た私たちがやることは
波をなくそうとすることでも
風を止めようとすることでもなく
その波に乗り
風に吹かれることではないだろうか。
波の頂点と波の谷間
両方がたえず入れ替わり循環する
その海にいて、その波に乗ること。
波に乗っていない時も
海に浸かって海を味わうこと。
もしも
色々なことを知り
色々なことができるようになり
色々なことを悟るのだとしたら
それは
波風のなくし方ではなくて
この波の乗り方と
風の吹かれ方を
マスターするためではないのだろうか。
達人はきっと
小さい波も
大きい波も
乗りこなすことを楽しむのだろう。
乗り切れずに海に投げ出されても
そこで泳いでまた波を待つ時間も
味わうのだろう。
さわやかな風も
吹き飛ばされそうな突風も
地球の命として味わいつくすのだろう。
時にその風の力を借りて
大きく前に進むのだろう。
だから
波風の立たないことを望んでも
ぜったいに叶わないし
そもそも何しに来たの?
ということなんだと思う。
ここはそういうところなんだよ。
そうやって肚を括っていたい。
そうやって
これからというものを見据える眼を
持っていたい。