何事も「一律」「一辺倒」は歪みを生む。
一律にさせようという力には用心した方がいい。
「外出しない。家にいよう」を選択したい人、それができる人はしたらいい。
それができる余裕があるということ。
そのことの恵みを思ってみてもいい。
けれど外に出ざるを得ない人もたくさんいるのだ。
人にはそれぞれ事情があるのだ。
そしてそれぞれの感覚と考えがあるのだ。
家にこもっている間に食べているものは、誰が作ってくれているのだ。
野菜を作って、魚をとって、肉を解体して
その他いろいろ作って加工して、整えて、並べて、売ってくれている人たちがいるから
のんびりと家で食べることができているのだ。
それらを全国から物流してくれている人たちがいるから、この手元に届いているのだ。
家にいる間に使っている電気は?ガスは?水道は?電波は?
誰が動かしてくれているのだ。
出したゴミや下水は誰が処理してくれているのだ。
物言わず外に出て、黙々と働いてくれている人たちがいるから、家にこもっていられるのだということを思ってみるといい。
本当にその人たちまでもが家にこもってしまったら、世界はどうなるのだ。
つまり、一律に「家にいよう」ばかり声高に叫ぶことや
さらには、外出している人に冷たい目線や言葉を浴びせるようなこと、
そんな「一律」を私はちっとも信じてないよということ。
あくまでもこれは私の選択。
そして「家にいよう」を選択している人はそうすればいい。
それはあなたの選択。
誰も悪いのではない。
それぞれの選択を尊重しあいたいね、と言いたいだけ。
多様であってバランスする世界を
私は愛している。