自己肯定感を下げている元である、「自己否定のコアビリーフ」について説明するシリーズ、3回めは、
「見捨てられビリーフ」です。
前回の記事
被害者感覚のビリーフ
見捨てられる感覚
見捨てられビリーフとは、
「自分は見捨てられるだろう」
という漠然とした感覚です。
・大事な人が自分を見捨てて去ってしまう
・自分を捨てて他の人のところに行ってしまう
・いつかは愛想を尽かされて終わってしまう
・突然いなくなったり、死んでしまったらどうしよう・・・・
そんなことを思って、恐れと不安を感じているのが、このビリーフです。
自分のことを「見捨てられる・置き去りにされる」立場に置いて考えてしまうのです。
常にその不安があるために
相手と離れてしまうことや一人になることが怖く
ちょっと返事が遅れた、連絡が遅れた・・などで過剰に動揺したり
相手の交友関係や行き先を神経質にチェックしたり
こっそり相手のメールを見る衝動を抑えられなかったり
不安が高じて、あらぬ嫉妬をしだしたり
あるいは、
いつも相手の顔色をうかがって尽くしまくったり、相手の言いなりになったりして
けなげに見捨てられないための努力をする場合もあります。
このような努力は、一見けなげなようですが、恐怖を出どころにしていますから、愛というよりも「見捨てられない」ためのコントロールとなり、「なんだか重い」のが特徴です。
あるいは逆に、見捨てられて傷つくような思いをしたくないために、初めから人と親密にならない、という戦略となる場合もあります。
ビリーフは傷によって作られる
このようなビリーフには、幼少期の不安定な親子関係による傷が関係しています。
無力で、両親に依存するほかない幼い子どもにとっては、親に見捨てられることは死を意味するほどの恐怖となります。
何らかの状況によって、そのような恐怖と不安を味わわなければならなかった子どもの内に「自分は見捨てられるだろう」という思い込みが刻まれてしまっても仕方がないのです。
ビリーフを持つからこそ、見捨てられないで安全に生きるための方策を一生けんめい開発して、ここまで生き延びることができたのです。
そうやって刻まれてしまった子どもの思いが、大人になった後々までも無意識に残ったまま、気づかずに自分を突き動かす前提となってしまっているのがビリーフというものです。
それをビリーフリセット心理学では「インストールされている」という状態に例えています。
「過去のことだから。今はもう状況が違うし、関係ないでしょ〜。」
と思うかもしれませんが、無意識下にインストールされたものには、なかなか気づかないのです。
たとえば、この「見捨てられビリーフ」が強く入っている人の中には
なぜかいつも、自分を見捨てるような不安定な人とばかり恋愛して、結局見捨てられて傷ついてばかりいる・・・
というようなことを繰り返す場合もあります。
本人、原因は全くわからずに、です。
「痛いパターン」はビリーフかも
見捨てられビリーフに限らず、実は、恋愛関係に関して繰り返してしまう「痛いパターン」というのはビリーフがたいへん強く関係しているといわれています。
そんなこと全然望んでないのに、結局は恐れていたビリーフ通りに「実現」してしまう。
恐ろしいようですが、ビリーフというインストールされたプログラムにそのまま動かされていると、そんな人生になる可能性も大きいのです。
登場人物を変えても、舞台設定を変えても、いつも同じストーリーをやって傷つくハメになるのです。
だからこそ、「どうしていつもこうなっちゃうんだろう?」と思ったら、
つき合う相手を変えることよりも
まずは自分自身の中にどんなビリーフがあって、それにどんな風に動かされていたのか
それを探求して、気づいていくことが根本解決の道です。
ビリーフが変われば、全く別の人生のストーリーが始まる希望も、見えてくるのです。
♦関連記事♦
・自己否定ビリーフの王様はこれ!
・被害者感覚のビリーフ
・自己肯定感は「上げる」もの?