ついに完結・こういう私として、またね。
これまでの「サウンドトラックのお仕事」とはどういうものだったのか、
振り返ったところで、そして今。
私は、新たにすごく楽しいサウンドトラックのやり方を見つけているのです。
それは何かって?
さて、それは現在私がやっているオリジナルの「ミュージック・セラピー」にあります。
老人ホームなどの施設で集団で行われている「音楽療法」と区別をつけるために、私はあえて「ミュージック・セラピー」と言っているのですが、私のセラピーでは完全1対1で、その方の感情に触れ、その方自らご自分の内側を探求したり旅したりして、忘れていた「自分の心の声」や「本当の自分の音色」をみつけていく道のりを辿ります。
そして、音や音楽が、その道のりの重要な手助けをします。
結果としてお一人お一人、本当に色々な音や音楽の使い方になって、どれ一つとして同じものはないのですが、そこで私がやっていることは、まさに「その方の、その瞬間の、その感情のためのサウンドトラック」なのです。
前回の記事で書きました、サウンドトラックの醍醐味、とは。
・空気を一瞬にして「ある場所」へ持ってってしまう
・ある状況、どんな空気なのかを、理屈抜きで感じさせてしまう
・ある感情を具体的につかみやすく、より感じやすく、伝わりやすくさせる
・そして、その状況や感情が変化していく様子を、音楽の変化によって表現できる
でしたね。
まさにこの4つを、私のセラピーではリアルタイムで、あなただけのために、あなたの感じているその感情を、状況を、そしてその変化を感じ取って、即興で演奏表現していきます。
主人公はあなた。ストーリーはあなた自身。
そうすると何が起こるのでしょうか。
多くの場合、人は日常のアレコレに追われたり、人に言われたこと・会社に決められたことなどに従っていたり、疲れているのにがんばっていたりすると、自分が本当に何を感じていたのかわからなくなっていたりします。
そうすると、なんだかわからないけどモヤモヤしたり、じつはどこかでイライラしていたり、よくわからないけど疲れがとれなかったり・・・でも考えてもしょうがないから「なんとなくストレスが」と言ってすませて、また真っ当な社会生活に戻っていきます。
でも、その「ストレス」とは多くの場合、忘れ去られたり、置いてきぼりにされた、自分自身の本当に感じているものの「声」だったりするんですね。
セラピーでは、そういう 忘れ去られたもの・置いてきぼりにされたもの、
あるいは、
本当は望んでいたもの、本当はもっと輝くはずのもの、
本当はあなた自身のかけがえのない個性であるはずもの
そんなもの達がささやく声を
聴いてあげて、形を与えてあげて、感じて、認めてあげる
そんなようなことをするのです。
どうやって?
それが、私の場合は、音と音楽で、ということになります。
その方が語ってくれた「その気持ち」を私も感じて、「じゃあ音楽でやってみますね」と言って表現してみます。
二人で一緒に楽器を使ってやってみることもあります。
それは「怒り」や「不安」だったりすることもあります。
「追いつめられる怖さ」だったりすることもあります。
あるいは「幸せだったあの頃」だったり
「私の望む明るくイキイキとした職場」だったり
「種から芽が吹き花が咲いてゆく姿」だったり・・・
まさに、サウンドトラック、でしょ。
そうすると、形がないゆえに今までなかなかつかみ難かった気持ちに、音楽という形が与えられ、「そう、それ!!ああ、私が感じていたのはそれだったんだ!」といった実感が訪れるのです。
そうすると、今までないことにしていたようなその気持ち=あなたの一部分が、大切で愛おしいものとして感じられ、見え方が全く変わってしまいます。
そうすると、ご自分自身の中で色々なことがつながり、深く腑に落ち、ご自分自身で答えを見つけてゆかれます。
人は、自分の本当の気持ちを実感すると、ものすごく納得し、安心し、嬉しくなり、元気になるんですねえ。
そうなると、それまで考えてもいなかったような知恵が降りてきたり、
ありえないと思っていた希望を持てるようになったり
色々なことが変わってきます。
そんなセラピーを、音楽を使ってやらせてもらっている時、私はまさに
「私の感じたかったサウンドトラックの醍醐味」を心いっぱいに感じています。
そして、目の前のその人の人生に寄り添い、関わり、幸せへとご一緒したい、という
本来私がほしかった喜びを味わっています。
そしてそれは、作曲家である私だからできることであり、
セラピストである私だからできること。
ほら、つながった ♪
そういうわけで、これからの私は、そういう作曲家/セラピストでいきます。
これからも多くの方々の人生に触れて精進を積み、その方だけの心のサウンドトラックを奏でるということに関して達人の域に近づいたら、その先に、もしかしてまた「映像のサウンドトラック」をやる日がくるかもしれないなーと感じています。
その時はもう、今までのような「作曲家」じゃないですね。
「作曲家/セラピスト」という足場で
こういう在り方で、そういう仕事をする人間として
「そういうあなただからお願いしたい!」という奇特なお方がもし現れたら、
「ぜひ、やらせてください!」
という日が来るのかもしれません。
さて、何年後になるでしょうねえ。
というわけで、予想外に長くなった連載(笑)もこれで完結です。
「サウンドトラックはもうやらないんですか?」
に、結論が出ましたね。
「いずれまたやるかもしれません。でもこれまでとは違う在り方で。」
「やり方」じゃありません。「在り方」です。
こういうふうに在る私として。
長々とおつきあい下さった皆さま、ありがとうございました。