自分がニュートラルな状態にあるとは
ただ、いる
ということ。
ただ、いる
それがニュートラルな私。
ありのままとは
ニュートラルということだ。
何も力が入っていない。
何も思っていない。
ただいるだけだから
視野は全方向、360度。
身体と周りが溶け合ってしまったような。
ただ、いるだけ
それだけのことが
こんなに大きく広く軽く
豊かに安らぐものであるとは
ここに来ない限りわからないだろう。
ただいるだけじゃいけない、と
私たちは思っている。
ただいるだけなんかじゃ
意味も価値もない、と。
だからこそ
あれもこれも
しなきゃやらなきゃ
役に立たなきゃ
価値を生み出さなきゃ
と、力を入れてきた。
意味も価値もないことを
そんなにも恐れて。
実は、まさに
ニュートラルな場所には
意味も価値もない。
意味やら価値やら
そんな人間が作った小さな取り決めなど
吹っ飛んでしまうんだ。
そんなものが吹っ飛んだところに
はるかに大きな「自然」が出現する。
そんなものは
いつか誰かが作った
小さな値札のようなもの。
それだけのものじゃん?
だから何?
って、なっちゃうのが
ニュートラルな場所。
ニュートラルな場所では
意味も価値も
圧倒的な「存在」の前に
ちっぽけに無意味化する。
その無意味の
広さと気持ちよさ。
ただいる
それでよかったという
深い納得。
それがニュートラルという場所。
それがありのまま、ということ。