人はほとんどの場合、
「知っていること」の範囲でしか
考えることができません。
知らないことは
想像も認識もできない。
認識できないことは
変えようがないし、実現もしない
ということです。
たとえば昔々、山奥の村で
村の外に出ることもなく
何の情報もなく暮らしていた人たちは
「都の生活」など
想像もつかなかったはずです。
だから、都へ行こうなんて
思う人は誰もいません。
「こういうものだから」と思って
一生を終えていきます。
そんな村に
旅の僧とか商いの人がやってきて
都の話をしてくれたとしたら
その話に「へ〜」と驚きつつ
初めて少しは想像してみることが
できるようになるでしょう。
その中からほんの一部
「自分も都へ行ってみたい」
なんて思って旅立つ若者、
みたいな人が出てくるのかもしれません。
その人の人生は
大きく変わっていくでしょう。
あるいはもう一つ喩えるなら
間違った習慣で
身体に良くないことを
良いと思って続けていたとしたら。
「それは身体に良くない」
という知識がないままなら
良かれと思って
ずっとその習慣を続けて
身体はどんどん壊れていきます。
それはとても
残念なことではないでしょうか。
そのように、今私たちが生きている
この人生においても
ずっと苦しみの世界にいて
その世界しか知らない人は
苦しみがない世界なんて想像がつかない。
頑張らないと生きていけないと思って
頑張ることしか知らない人は
頑張らなくても生きていける世界
があるなんて思えない。
だから自分がそこに行けるなんて
とても思えない。
思えないから、変えられない。
そうなってしまうのです。
自分を傷つけるような心の使い方を
知らないまま続けていたら
当たり前ですが
心は壊れていきます。
頑張ることしか知らない人は
もう頑張れないと思っても
怖いからまた頑張ってしまいます。
知っているか?知らないままか?
の違いは、それほどに
私たちの人生や未来の軌道を
左右するほど大きいのです。
だからこそ、まずは知る。
これまでの自分が知らなかった領域に
触れてみる、知ってみる。
そこが大事。
そして「へ~」と思う。
そうすれば「認識できる」に変わる。
認識できたら、変えることができる。
それがほんとに大事。
まだ行ったことがなくても
地図を眺めることができたら
遥かな広い世界に
思いを馳せることができるのです。
知識を得る、知る
ということの尊さはそこにあると
私自身は思います。
「自分にわかるかしら、できるかしら」
と不安になって
足踏みしてしまう人もいますが
まずは知るだけでも十分です。
わかるかどうか、できるかどうかは
その次でいいのです。
知っていれば、未来が変わります。