前回の記事を見て
こんな疑問が浮かんだ方もいたかも?
自我って「エゴ」のこと?
エゴと自我って違うのかな??
ううー、そこ
けっこう説明難しいな。
人によっていろんな解釈があるけど
自我とエゴは同じもの。
と私はとらえています。
よく「エゴイスティックな人」
とか
「それはお前のエゴだろう!」
とか
なんかエゴっていうと
欲まみれ、自分本位、やりたい放題
みたいなイメージがありますよね。
ガマンしたり押さえつけたり
ちゃんとさせようとしたり
ガチガチ縛るのが「自我」だとすると
この「好き放題やりてー!」
っていう欲まみれな「エゴ」は
「自我」とどう違うの?
って疑問がわいても当然です。
実は、根っこは同じなんですよ。
「好き放題やりてー!」・・・つまり
貪るような欲って
どこからくるかというと
根源的な欠乏感からくるのです。
自分てものが
根源的に足りないかんじ。
手に入れても手に入れても
満たされないかんじ。
だからこそ
「もっと、もっと」
「ドンドンほしい!」
「自分さえ得すれば!」
というヒリヒリするような欲望を
燃やすことになるのです。
これは「魂の望み」とは質が違うものです。
だからこういう欲の燃やし方されると
まわりもけっこうゲンナリしたり
するわけですよね。
自我がやってることって
基本的に不自然で
あんまり美しくないんですよ。
これについてはこちらの記事が詳しいです。
では
こうした「欠乏感」を感じているのは
魂なのか、自我なのか?
といったら「自我」です。
欠乏感も、自我の幻想(思い込み)です。
なぜ自我が
こうした欠乏感を抱えるかといったら
まさに前回言いました
もともと満ちている「魂」を
自我は知らないからです。
「本体」を知らないから
カラッポ感が埋まらない。
欠乏感
↓
満たしたい
↓
まだ足りない
↓
満たしたい・渇望
↓
まだまだ・貪り
↓
やりたい放題
というサイクルになるのです。
これが欠乏感が
欲望方面に暴走するパターン。
かたや、前回例にしました
「べき、ねば」
「ダメになる、ガマンしろ」
といった抑制方面に暴走するのは
その欠乏感が「なくなる恐怖」となって
恐怖を避けよう、守ろうとする
過剰な防衛を生むからです。
欠乏感
↓
なくなる恐怖
↓
なくならないように
↓
しなきゃ
やらなきゃ
↓
あれもダメ
これもダメ
↓
消えない不安
↓
やっぱりダメになるー!
と恐怖方面に暴走するのが、
こっちのパターンの流れですね。
どっちにしろ、
自我は、欠乏感が特徴であり、
欠乏感を動機として
不安も、恐怖も、怒りも、貪りも・・
いわゆる「煩悩」といわれる
いろんな感情が発生するということです。
結論。
なので
自我とエゴはおんなじものを言っている
と思ってくださいね。
自我100%で回らない、
「魂」という自分もいることを
知っておくことが
クリアな意識で
自分の中にバランスを保ちながら
適切に欲求を実現していくコツです。