絶対信頼。
という意識の状態。
すべてはただそのままに、起こるがままに
何があってもなくても
どうであってもなくても
それでいい、大丈夫。
という感覚です。
チューニングをそこに合わせれば今すぐに
その世界へと切り替わるのです。
その反対に
こうでないと、そうでないと
こうじゃダメで、そうじゃダメで
そうなっていれば安心
そうなってないから不安。
で、そうなっていない現実に
不安だ不安だ不安だ・・・・
という感覚でいる時。
これもまた、そういう意識のチューニングなのです。
相対信頼には不安がつきもの
何があってもなくてもOK、大丈夫
そのまま宇宙に任せよう
という信頼を「絶対信頼」というならば
自分の頭の中で何かと比べて、「こうだったらOK」という基準でいいとかダメとか振り分ける。
そんな部分的・相対的な信頼を、「相対信頼」と名付けてみます。
この相対信頼のモードにいる限り、いつでも「信頼できる」と「信頼できない」がセット。
ということはつまり「安心できる」と「安心できない(=不安)」も常にセットなのです。
だから不安は永遠について回るということになります。
まるで天秤のように、両者が入れ替わってグラグラするのは当然なのです。
意識のチューニング
絶対信頼のモードと、相対信頼のモードを切り替えるのは、自分の意識であるとともに「身体」であるともいえます。
身体を宇宙のエネルギー、光にチューニングする。
これを瞑想ともいいますが、その時に、意識のチューニングも切り替わります。
ほんと、この切り替わりは一瞬です。
それだけで、今までいた世界が全く違う世界に変わってしまいます。
ドヨーンだった世界が、スッキリ、キラーン!みたいな。
そして、この現実というのは自分の心が作っていることを知ること。
外側に現れるものごとや人、それらによって自分の心がざわついたり落ちたりする時
それは自分の中にまだ知らない偏りや滞りがあるということのサインです。
その偏りや滞りに気づくために、外側の現実として現れていると見るならば、現実もまた「大丈夫」なのです。
そして良いも悪いも、現れた現実は、自分の意識=宇宙(神という言い方をする人もいますが)が
見せてくれているものであり
用意してくれたものであり
差し出してくれたもの。
そのことを受け取るならば
現実もまた「大丈夫」なのであり「ありがとう」なのです。
わからない場所にただいる
どうなるかわからない。
そのことを「不安」と感じるか
「楽しみ」と感じるか
ただ「わからないねー」と感じるか
これもまた意識の選択です。
絶対信頼の意識でいるならば、「わからない」をそのままにしていても「大丈夫」。
「わからない」だけが、今わかることだからです。
「わからない」というその場所、ただそこにいる。
それも絶対信頼です。
そのままにいても刻一刻と時はやってきて、ただその時に私たちは何かをするでしょう。
究極、できることはそれだけです。
わかる?わからない?
どっちでもいいや。
きっとあなたの深いところに届いていると、信じています。