心の探究というのは
愛とか光とか空とか
そういうものを求める方向にフォーカスする道もあるけど、
苦しみとか煩悩とか勘違いとか
そういうものを外す方向にフォーカスする道もあると思う。
どちらにしても行き着くところは同じ。
きっとどちらも本当で
どちらも必要なのだろう。
で、自分はどっちがピンとくるか。
そういうこと。
私は後者なんだ。
人間の苦しみ、煩悩、勘違いを
どうもほっとけない性分なのだ。
なんで… ⁉︎ とがっくりするような
人間そのものへの残念無念さを
すごく昔から
もしかして生まれてくるよりもっと前から
いつも抱えている気がする。
だからこそ、そこに立ち向かいたくなる。
苦しみを生み出している構造があるのだから
その構造が崩壊すれば
苦しみは存在しなくなる。
呪いから覚めれば
もともと愛であり光であり空であることを
おのずと知ることになる。
だから
呪いから覚めるのだ!
その構造から脱出するのだ!
鎖を断ち切れ!
解き放て!
と、熱くなる自分を
なんだか止められない。
ものすごく人間に絶望しながら
ものすごく人間を信じている。
それは私の中で矛盾なく両立している。