・スクリャービン(1872〜1915 )「12の練習曲 OP. 8 – 11番 変ロ短調」
・シマノフスキ(1882〜1937 )「4つの練習曲 OP. 4 – 3 番 変ロ短調」
どちらも、めっちゃ悲しくて暗くて、切なく美しい曲です!
両方とも、学生時代に知って以来好きで時々弾いていたのですが、なぜか昨日あたりから、あらためて私の中で存在感が強くなってきました。
詳しいことはWikiにお任せしますが、スクリャービンはロシアの人。シマノフスキはポーランドの人。シマノフスキは初期にスクリャービンの影響を受けたと言います。
それで、この2曲はどちらも練習曲として書かれ、調も同じ。テンポ感や淡々とした8分音符の伴奏型も似ていて、公式に断言はされていませんが類似を指摘されることもある・・・とか。
私個人的には、やっぱりシマノフスキのスクリャービンに対する何らかのオマージュがあったのではないかと感じられてなりません。
まず、スクリャービンの11番。
ゆったりとしたテンポで歌われる憂鬱でロマンティックなメロディーが、まるで失われたものへの哀惜を溜息とともに語るかのようです。
大学の時、副科ピアノで師事していた遠藤郁子先生のレッスンで、この曲を見て頂いた時のことが忘れられません。
遠藤先生は、これは失ってしまった恋人への想いだとおっしゃいました。
前半、変ロ短調によるそのような憂愁で始まった後、
中盤では変ニ長調に変わり、一瞬明るさが見えてきます。
先生曰く、これは楽しく美しかった過去を回想している・・・のだそう。
確かに。
明るさがあるものの、夢のように移ろいやすく、儚さに満ちた情景です。
それは次第に翳りを帯びて、感情の高まりと共についに元の現実へと引き戻される。
そして慟哭・・・。
再び溜息に沈んだ後、プツン….と音は途絶え、もう何も言えなくなってしまう。
1小節の空白。
そして、低く鐘の音が鳴る。
その時、先生は「ああ、この恋人は死んだ人だわ。」と言ったのです。
その霊能者のような物言いに思わずゾゾッとしてしまった・・・。
しかし、確かに。
最後の8小節はどう見ても葬送曲、鎮魂の鐘が鳴るのです。
言葉で語らぬ音楽に、後から勝手に物語を読み取るような行為には賛否両論ありましょうが、私個人的には、そういう解釈を想像していくのは好きな方です。
そんなスクリャービンの11番、好きだと言ったら、遠藤先生が「こういうのもある」と教えて下さったのが、シマノフスキの3番だったのでした。
こちらも、憂愁のメロディーでゆったり始ますが、その後の展開が違います。
進むに従って、より暗くて寒い、壮絶な深みへと降りてゆくかのようです。
これは恋愛という感じはしませんね。もっと人間としてのコアな痛みのようなもの・・・。
そして、その深みで何度も激しく怒濤が打ち寄せた後、溜息の中、薄明に沈んでゆく。
これもやはりある意味鎮魂曲のように思われます。
私はシマノフスキがどういう人か全く知らなかったので、「ポーランドだし、何か民族的な迫害など受けて、極限まで人生の苦渋を味わった人なのだろう。」などと勝手に想像していたのですが、このたび調べてみると全然違いました。
家庭にも芸術的・音楽的教育環境にも恵まれていたようで、それほど苦労した感じには見えません。この曲が書かれたのもワルシャワの音楽学校時代。
全くの若書きでこういう曲を書いてしまうってどういうこと!?
まあ、そんな意外なビックリはありましたが、しかし創造のインスピレーションというものは、年齢や経験を超えたところにポーンとやってきたりするものなので、そんな「深い何か」にアクセスできたのも才能なのでしょう。
さて、少し蛇足になりますが、この2曲の調(キー)が変ロ短調(B♭マイナー)だということ。
これで思い出すのは、バッハ平均率ピアノ曲集1巻・22番のプレリュード。
これも変ロ短調で、ゆったりしたテンポ、淡々と刻む8分音符の伴奏型で、ある種宗教的な悲しみといった情感をたたえた曲でした。
全くの私的な邪推ですが、もしかしてスクリャービンとシマノフスキの2曲の、そのまた奥にはバッハのこの曲が源流にあったかも・・・などと思ってみるのもおもしろい。
あからさまに「これみたいにしよう」という意図がなくても、イメージの系譜というのは見えない世界で脈々と受け継がれていたりするものだと思います。そして地下水のごとく、ある時、誰かのもとに湧き出てくる・・・。
そんな想像羽ばたく、美しい鎮魂曲2つ。そして垣間見えるバッハのプレリュード。
そんなつもりで聴いてみても面白いのでは?
それにしても、この時期こんな曲が気になりだしたのは、お盆や終戦の日にふさわしかったりするんでしょうかね(^ ^;