■「どうしたらいいか」の正解はない世界
セラピーのセッションは、私の場合1回約2時間でやっています。
いらっしゃる方のお話も、テーマも
その方の気質や傾向も
何がどうしてそうなったかの背景も
問題の根源に何があるかも
それをどうしたら、ご本人の望む状態にまで転換できるのかも・・・
あらゆることがその方オンリーワンのものです。
「こないだあの人がこれでうまくいったから、こんどもこうやればOK」
なんてことはありません。
まさに100人、100通り。
そして、セラピーにはさまざまな理論やメソッドがあります。
私もそれなりに、いくつかのメソッドを持ち
状況に応じて、ここではこれかな!今はこっちかな!
と判断していきます。
いつ、どんな時に、なにをどうするか。
セオリーがあるようで、
しかし目の前の現実はセオリー通りではありません。
しかも、クライアントさんご本人にとって満足のいく着地まで
絶対にたどりつかなければなりません。
いえ、「なりません」ということはないのかもしれないけれど
私は、絶対にそこまで行く!というゴールを自分で定めています。
だって、その方の大切な心と人生がかかっているんですから。
絶対に結果を出したいと思いますから。
それだけ毎回、千差万別で、
いつも目の前には新しい現実が現れるので、
セッションが始まった時はいつも
まったく糸口も道筋も見えないところからのスタートです。
「どうしたらいいか」なんていう正解はありません。
正直言って、いつも
「うわ〜、どうするんだ、これ・・・」という思いがあります。
いわば、数キロ先の島を目指して遠泳に出てしまったような感覚です。
ぜったいに引き返せない。
でも溺れるわけにいかない。
足はつかない。
頼る人も、舟もいない。
クライアントさんと二人して
どうやってでも泳ぎきって、島にたどりつかなければいけない。
そういう中で唯一頼りになるものは
理論でも習った手順でもなく
自分の「カン」であり、「肚(ハラ)の声」だなあ、
とつくづく思うのです。
■肚(ハラ)の声に従う
一瞬一瞬の状況に、集中して神経を研ぎすましていると
私の場合
「次、こっちだな。」
「今、これを言おう。」
「ここで、これをやろう。」
と、バチッバチッとインスピレーションがくるのを感じます。
それは胸からもうちょっと下、肚からくるかんじ。
肚から「思いつき即決断」というかんじの声がくる。
ここから来た声は、すごく「大丈夫だ」と信じられるのです。
だから、その通りにやります。
それが私の道しるべです。
どうしたらいいかなんてわからない。
先のこともわからない。
でも、こういう肚の声を頼りに一瞬一瞬を重ねていると
知らず知らず、あっと驚くような道筋が開かれたり
ちゃんとご本人が腑に落ちる答えに導かれたりするのです。
そして、なんとか2時間程度で、一つの決着がついていきます。
あえてコツといえば
「絶対に決着がつく」と信じていること。
本当にわからなくなった時は、正直に
「わからなくなった」とクライアンントさんに言うと
またそこからちゃんと道ができていったりするのです。
そうやって結果的に、どこかしらの「島」にたどりつきます。
不思議なものです。
■「思いつき」と「気がする」は音楽とつながっている
よくね、
「そんなのただの思いつき」とか
「そんな気がするだけだ」とか
「根拠ないし」とか言って
自分の感覚を信じることを軽く扱う傾向が、現代人にはありますね。
でも、私にとってセラピーは
どれほどこの根拠のない「思いつき」と「気がする」に支えられているか。
もちろん、土壌としてちゃんと理論はあります。
でも、その理論をどう目の前の現実に生かすかは、
ホント、思いつきですから。
私がそういう感覚を信じられるのは、たぶん
私が作曲をやっていたこととつながっているような気がします。
作曲はまさにインスピレーションなので。
作曲やる人はだいたい
「降りてきた」みたいなことを言いますでしょ(^ ^)
聞こえてくるんですよ。コレだ!というものが。
そうやって聞こえてきたものが、
いちばんすばらしく、信頼に足るものだという経験を
私も音楽でいっぱいしてるんだと思います。
プロセス・ワークという流派の創始者、アーノルド・ミンデルさんが
「セラピーはアートである」と言ったとか。
私はその感覚がわかるような気がします。
一瞬一瞬の即興(インプロヴィゼーション)でありながら
最終的に、調和のとれた、神的な秩序と自然美が現れるアート。
まさにクライアントさんと二人でやる「セッション」なんだなあ、と思います。