感情の層
さて、前回書きましたように、私たちはけっこう自分が本当に感じている気持ち(感情)を感じるということが苦手だったりします。
前回の記事はこちら
「いや、そんなことないかな。自分けっこう感情激しい方だし。」と思う方もいるかもしれませんね。
「感情が激しい」と思っている場合、一番自覚しやすい感情というのは「怒り」かもしれません。
そして、ほとんどの場合、その感情は相手に向かっていることが多くはないでしょうか。
たとえば
「なによ、あんな言い方しなくたって!」
「ちょっとー、そういう態度が気に入らないのよ。」
「なんだよ、段取り悪いな。もっとちゃんとやれよ。」
「なんて運が悪いんだ。今日はダメダメだー!」
などなど。
たしかにそれも感情ではあるんだけれども、その奥をもっと感じていくと、こんな感情があったりします。
実は、
あの人の言葉を聞いて、拒絶されたような気がして怖かった。
とか
自分をないがしろにされたような気持ちになった。
とか
してほしかったのに、してもらえなくて寂しかった。
とか
自分は、天からさえも助けをもらえないような気がした。
とか
さらにその奥には、たとえば
やっぱり自分は愛されてないんだ。
自分は重要な存在ではないんだ。
自分は無力なんだ。
自分には価値がないんだ。
のような、感情があったりします。
このあたりが「自己否定コアビリーフ」と密接な関連があります。
そしてその奥には
本当は
愛してほしい・・・
わかってほしい・・・
助けてほしい・・・
安心したい・・・
つながりたい・・・
などの感情もあったりします。
そんな風に奥へ奥へと探っていくと、その先には
何にも揺らがない、ゆったりと大きな安らぎの心境が、実は自分を支えている・・・
感情というのを超えた、そんな境地のような場所もあったりします。
これは一例ですが、このように、感情には層があります。
まるで、風で波立つ海の表面から深く降りていくと、だんだんと静かな深海に至るように、感情の層も、深く降りていくほど自分の本質に近づいていくことになるのです。
静けさに戻る
自分の感情を感じるというのは、それほど深いところまで通じる道です。
しかし通常、それは一人ではなかなか難しいので、海に一緒にダイビングするバディのように、セラピストという人がいて、潜るために安全で有効な方法を提供したりするわけです。
けれど、自分一人でもできないわけではありません。
なにも、超〜深いところまでいかなくても、他人や外側に向かって波立つ感情を後にして
自分が自分として感じている、一つ奥の感情ぐらいまで感じてみることは、とても大きな内面の変化をもたらすでしょう。
そのために必要なのが、無為であり静寂です。
私たちは日ごろ、目で見過ぎ、耳で聞き過ぎ、口で食べ過ぎ、頭で考え過ぎ、身体で行動し過ぎ の傾向があります。
だから、ゆっくり感情を感じるすきまがなくなってしまうのです。
あるいはむしろ、感情を感じないようにするためにこそ、いつも五感をフル活動させているという場合もありがちです。
だからこそ、無為・静寂の時間は自分に戻るために不可欠ではないかと思います。
独りになって、全ての音を消し、動くモノを消し、何も見ない、聞かない、しない時間を作ってみるのはどうでしょうか。
ただ座っているだけ。
目はつぶってもいいでしょう。
呼吸に意識を向けて、自分自身を感じてみる。
あれやこれや考えに走るアタマを放置して、身体に意識を向けてみましょう。
感情というのは、身体とつながっています。
その感情を、身体のどこに感じるか、感じてみましょう。
胸が重いとか、喉がつまるとか、お腹にドロドロしたものが・・・とか
何か身体感覚と結びつくものがあるかどうか感じてみましょう。
私の経験では、自分の左半身に壁があってザックリ傷ついている、というイメージで感じられたこともありました。
その身体感覚に声があるとしたら、どんなことを言っていそうでしょうか。
なんでもいいのです。
正解はないのです。
ただ自分がどう感じるか、感じる。
すぐに感じられなくても大丈夫です。
感じようとしてみる
自分の身体の声に耳を傾けてみようとしてみる
それだけでも有意義な練習になります。
そして、その身体の感覚と結びついた感情を、ただ感じる。
悲しくなったら、悲しくなりましょう。
寂しくなったら、寂しくなりましょう。
怒りがマグマのように湧いてきたら、
そのマグマの熱さ、強さを感じましょう。
涙が出てきたら、涙を流しましょう。
こんなこと感じたら悪いとかいいとか、一切判断はナシです。
ただ、自分の感情と共にいる。
それを感じている自分に「そうか、そうだったんだねー」と言いながらただ共にいることです。
感情は雲のように去っていく
ちゃんとその感情にフォーカスして、そうやって共にいると、だんだんと感覚が変化してきて「もういいかな」という気になる時が訪れるでしょう。
そしたら、終わりです。
感情というのは、そんなに何時間も感じ続けていられるものではなく、雲のようにいつか去っていくものです。
雲がいる間は雨が降り、雨が終わったら去っていきます。
去った後には、青空が残っていることに気がつくでしょう。
いつも他人のことばかり、外のモノやコトことばかり考えている日常に、ほんの一時でも静寂の時間を持ち、自分そのものことに意識を向ける時間を持ってみることは
少しずつだけれど、内側から何かを変えていく静かな力になるでしょう。