どうして「浮気」されると困るのか
昨日「学びの浮気、大賛成」という記事を書きました。
こういうことを言うと、とてもびっくりされます。
やはり、お稽古事などで「他の先生に習っちゃダメ!」と言われた経験のある方も多いようです。
もちろん個々の事情はさまざまだとは思いますが、私もモノ好きなので、なぜ生徒に「浮気」されると困るのか、先生の立場で考えてみます。
それは一言で言ったら「恐れ」だと思います。
恐れとは、まだ起こっていないことを悪い方に予測する考えであるともいえますね。
・ヘンに知恵をつけてきて、こっちの言うことを聞かなくなるんじゃないか
・ヘンなことされて私の教えていることを捻じ曲げられたら困る
・比較対象を得ることで「あの先生も意外とたいしたことない」と批判的に見られるんじゃないか
・いずれ「あっちがいい」と言われて、自分のところから去ってしまうんじゃないか
・そうしたら生徒が減って、収入が減って、生きていけなくなってしまうんじゃないか
なので「ダメ!」と言いたくなる。
その気持ちもわかりますけどねー。
でも結局、その奥にあるのは「恐れ」であり「ダメになる」という予測ですね。
男女関係の浮気疑惑
学びの浮気もそうですが、浮気といえば、男女の浮気。
これも根本はおんなじだと思います。
しているかどうかもわからない相手の浮気を恐れたり疑ったりする心理、
その根底にあるのは
「自分がないがしろにされる」という恐れです。
自分がないがしろにされるんじゃないか。
そして捨てられて、ダメになるんじゃないか。
ダメになったら困るから
ダメにならないように
監視、禁止、束縛。
相手の浮気を恐れたり疑ったりする心理の奥には、そういう構造があるんじゃないかと思います。
たとえば
夫が他の女の人と仲良くすると、ザワザワしちゃう。
だとしたら。
ここにも「自分がないがしろにされる」
という恐れがあるわけです。
あの女の方がよくて、私じゃダメなんでしょう?
あの女といる方が楽しくて、私じゃダメなんでしょう?
あの女の方がキレイだと思って、私じゃダメなんでしょう?
結局は私のこと捨てて、あの女の方に行っちゃうんでしょう?
私のことなんか、ほんとはどうでもいいんでしょう?
しょっちゅうそんな思いが出ちゃう人は、
そもそもの前提として
「私じゃダメなんだ」
「私は魅力がないんだ」
「ほんとのところ私は愛されないんだ」
「結局私は見捨てられるんだ」
ということを信じています。
これをビリーフっていうんですけどね。
そう信じこんでいる、ってことです。
それは元はといえば「この夫に対して」ではなく、「小さい頃、親に対して」持った気持ちであることが多いです。
それを信じ込んで、大人になっちゃってるわけです。
「私じゃダメなんだ」
「私は魅力がないんだ」
「ほんとのところ私は愛されないんだ」
「結局私は見捨てられるんだ」
という前提を設定して
なによりもそれを恐れているからこそ
いろんなことがその証拠に見えるわけです。
夫が他の女をチラチラ見た
夫が他の女としゃべって笑った
夫が他の女と食事をした
夫の携帯に女から着信があった
夫がSNSで女と楽しそうにやりとりしている
夫が、夫が、夫が・・・
ちょっとしたことが「私じゃダメ」「私よりもあっちにいっちゃう」の証拠としてカウントされます。
だから、「なんなのよ!やっぱり!私のことなんかどうでもいいんでしょ!!」とブチキレる、と。
この「やっぱり!」がポイントでね。
「やっぱり」っていうことは、すでに自分自身で「どうせ、きっと」と思ってるってこと。
すでに自分自身で
「ほんとは私はどうでもいい人間なんだ」
「どうせ私は愛されないんだ」
と思ってるってことです。
自分の頭の中の方が先、ってことです。
これが地雷。
ここにさわるわけです。
これは実は、夫との関係が本当の問題ではなくて、自分のことを自分で貶めている、その自己否定の方が問題の本体です。
そして自己否定しているから、二人の間の絆・つながりというものを信頼できてない、ということの方が、問題の本体です。
ですから、そんな自己否定がなければ
しているかどうかもわからない相手の浮気を、疑ったり恐れたりする必要はなくなるんです。
じゃあ実際、ほんとに浮気してたらどうするんですか!?
ってことについては、今回取り上げないでおきます。
ここで語るにはめんどくさすぎる・・。
今日はあくまでも「疑い、恐れ」の話でいきますね。
夫婦、我が家の場合
で「じゃあ、大塚さんは自分の夫にどうなんですか?」
ってこと、ちょっと話そうかな。
ウチの夫は、いろんな女の人と二人で飲みに行ったり、食事に行ったりします。
そして二人でニッコリ笑った写真をfacebookに挙げてたりします。
そういうの見ると、人は
「奥さん、大丈夫なんですか・・」と言うらしいです。
「ウチはそんなことしたらとんでもないコトになります!!」とかも言われるらしいです(笑)。
私は全然大丈夫です。
だからウチはとってもオープンに、「誰々ちゃんと会食」とか共有のスケジュール帖に書いてあります。
夫が女の人と飲みに行ったり食事に行ったりすることと、夫と私との関係がどうかということには、全く関連性はないと私は思っています。
もちろん、そのことと、私がないがしろにされることとも関連はありません。
ていうか、べつにないがしろにされてると思ってないし。
私の場合元々「見捨てられる」型のビリーフは持っていないことも関係するとは思いますが、
私と彼との間には、そんなことぐらいで揺らがない、人生レベルの地盤がすでにあると思っているのが大きいかもしれません。
そんなちょっとばかりの好いた惚れたレベルの話じゃないとこに、積み重ねがあるんで。
「そのままそっちの女の人と仲良くなって深入りしていっちゃうんじゃないか」っていう予測はするかといったら、私の場合、しませんねえ。
そういうこと考えるのめんどくさいので、どっちでもいい。
ほんとにそういうことがあれば、それはそれで、その時したい対処をするでしょう。
案外平気かもしれないし、案外取り乱すかもしれない。
どっちにしろその時でいいし、べつに今それを考えることはないと思っています。
何が来ても、私がダメになることはありません。
私が先生だった場合
というわけで、最初の、浮気を恐れる先生の話に戻れば、
私の場合、生徒さんが他に習いにいった結果、
そこと私と比較して「あやさんは、ここはいいけど、ここは足りないよね」とか思われても、仕方ないと思うのでべつにいいです。
だって、全方向にオールマイティなんてありえないからね。
私にも得意な方向と、不得意な方向とがあります。
それを生徒さんが正直に見抜いたとしたって、その通りだと思うので。
私から学べることを学んで、私には足りないところを他で学んでもらえばいいんじゃないかな。
「あっちの先生はこう言ってました」と言われて、それが私の知らないことであったとしても、私はたぶん取り乱さないような気がします。
知らないことはダメじゃないし、そのことを「自分がダメな証拠」とは受け取らないから。
「へえー、なるほど。そういう見方もあるんだねー」と言って聞くと思います。
結果として、「やっぱりあっちの流派がいいや。」と思われて行ってしまったとしても、そりゃあ気持ちとしてはちょっとは寂しさはあるかもしれないけど、それで私が何かを失うかといったらそういうわけじゃないですしね。
ささいな月謝や受講料の収入減を心配しなくてもいいかなと思います。
別のご縁はいつもやってくるし、そんなことでダメになると思ってないから。
まあ、元々私は情が薄いんで(笑)、そうやってサバサバ割り切れるんだとは思います。
我が家では「情は薄いが、愛はある」で定評があります(`・ω・´)
というわけで、浮気について、私ごとも交えて、昨日の続編でした。