罪悪感が「しんどい」の元!「善悪」ワールドを脱出して全方向「いい」ワールドで生きる

私たちの意識には段階があります。
生まれて成長するにしたがって、経験しながら次へ・・・と次第に変わっていくものなのではないかと思います。

どんなふうにその段階を考えるか、その定義や位置づけはいろいろな人が述べる理論によりそれぞれありますが、今日私がお話したいのはざっくりこの2つ。

1.善悪に従っている段階
 と
2.善悪を超えている段階

です。

私たちの人生の初期である子供時代は、まさに「善悪に従っている段階」です。
「初期設定」といってもいいでしょう。

親や世間という、自分の外から学んだ「善・悪」に従って、思い、考え、行為するということです。

これは善いこと。これは悪いこと。
善いことをするべし。
悪いことをするべからず。

それを私たちは人生の初期に教えられます。
これは人間社会で生きる上で、必要かつ当然のことではあります。
こうやって、まずは社会に適応できる人間として仕込まれていくわけです。

当然子供は、その善悪に従います。

教えられた「善」をすれば、良い子。
教えられた「悪」をすれば、悪い子。

で、「良い子」の方がほめられたり可愛がられたりして「良いこと」が多いので、つとめて「善」であろうとするわけです。
それができる子は、「良い子」でいられる子だといえるでしょう。

逆に、そんな教えられた「善」のようなことができなくて怒られてばかりだったりする子は、自分は良い子でいられない子、つまり悪いところがある「悪い子」だ、という罪悪感を持つようになります。

「どうせ私なんか悪いから、ダメだから」というような、拗ねや開き直りのような、悪びれたような様子をする人などは、こういう罪悪感が背景にあります。
つまり「良い子になれない自分はどうせ悪い」ということです。

この罪悪感はわりと分かりやすいです。

しかしじゃあ、良い子でいられる子が罪悪感を持たないですむかといったら、そんなことはなくて。

良い子は「良い子でいなきゃいけない、そうでないと愛されない」と思うがゆえに、実は自分の内に潜む、そうはなりきれない自分の濁りや汚れや醜さのような部分をとても「悪」だと感じます。

そして、そういう自分の一部に罪悪感を持つし、実はそんなものを隠し持っている自分とう存在に罪悪感を持つことになるのです。

「良い子」でいようとすればするほど、自分の中の「悪」を嫌って、怯えて、陰の部分に罪悪感をたくさん溜めていくことになります。

つまり「善と悪」というモノサシに自分を合わせて生きるということは、必然的に、良い子・悪い子、どっちに転んでも「罪悪感」がついて回るのです。

これはおそろしいシステムです。
人間の初期設定として、善悪を持つがゆえに、罪悪感を背負って生きるということが、すでに運命づけられているということです。

そして、この罪悪感こそが、大人になってもずっと続く生きづらさや悩みや、生きるしんどさ、人間関係のトラブルなど、あらゆる問題の隠れたタネになります。

罪悪感があると

・隠し事があってうしろめたいかんじ
・バレたらヤバいかんじ
・一生懸命「いい人」の仮面をかぶる
・自分の思ったことを言えない
・人と心理的距離が近づくのが怖い
・なにごとも楽しめない
・喜べない
・褒められたり愛されたりすることを受け取れない
・がんばって苦労してしんどい
・嫌なことばかり選んで我慢する
・好きなことや望むことは選ばない
・他人の重荷まで背負う
・幸せになることに自分でブレーキをかける
・いつまでも親離れできない
・怒らせるようなことを無意識にしでかす
・自分を責めるような人を引き寄せる
・いつも人に攻撃されるような気がする

・実は自分も人を責めている
・実はしょっちゅう死にたくなる

などなど・・・・
まあ挙げればキリがないくらい、「生きづらさ・しんどさ」全般をどんどん生産していくことになります。

だから、もう思いっきり単純に言っちゃうけど

「生きるのしんどい」の元は罪悪感!

そう言い切っちゃってもいいんじゃないかと、最近ますます思います。
ほんと、みーんなコレなんだよね。
あ、ただし無意識に、です。
普段はそんなこと意識してないし、気がつきません。
しかし心深くを探っていくと、それぞれのお悩みの形は違えど、根底にあるのはだいたいコレです。

悩むとか壁にぶつかるとかは、その「善悪に従っている段階」に限界がきているからなんです。
てことは、そこからの卒業を呼びかけられているということです。

じゃあどうしたらいいかっていったら、
最初に書いたの、思い出してくださいね、

罪悪感が生じるのは、「善・悪」分けるからです。
そして、善悪のモノサシに自分を合わせて「良い子」「悪い子」に振り分けるから。

てことは、振り分けるのをやめたら、いいじゃんね?

振り分けといて、
「悪い子」がダメで、「良い子」がOKと信じているから。
「悪い子」をやめて「良い子」でいないといけないと信じているから。
だからしんどい。

で、どこかで自分は実は「悪い子」の側だ、と信じているから。
だから傷つく。

「ダメ」っていうのはダメで、「OK」っていうのがOKだと信じているから。
そうやってまた「ダメ」と「OK」を2つに振り分けるから。
だから「ダメ」が怖い。

頭がこの振り分けをやっている限り、罪悪感は永遠になくなりませんし、しんどいもなくなりません。

努力してがんばって克服して「良い子」100%にいけたら、罪悪感がなくなるんじゃないかと思ってる方もいるかもしれませんが、残念ながら違うんだよね。

たとえ「良い子100%」に一瞬はなれた気がしたとしても、一瞬後にはそれが崩れることの怖れに、今までの100倍怯えることになるでしょう。

2つに分けたものの片方に、100%力ずくで振り切ってるだけだから。
やがてそれは同じ力で振り戻されることになるでしょう。

だから、人前で全力で「いい人」やった後は、ひっそり一人になって、別人のようにダークでダーティな「アンダーグラウンド」な自分になる。
決して人には見せられない姿になって、やっとバランスを取り戻す。
そんなことも起きるんです。

当然です。
両極振り切りゲームをやってるわけだから。

そもそも両極を立てているかぎり、このループが終わることはありません。

それが好きならいいけれどね。
これはこれで刺激的なゲームですからね。

でも、そんなゲームにもう疲れちゃったら。
人生の初期設定である「善悪に従っている段階」から卒業してもいいのです。

設定のバージョンアップがあり得るってことです。
それが「善悪を超えている段階」

善悪なんてものは人間の思考が作ったモノサシにすぎません。
それはそれとして人間社会での使いようはあるけれど、宇宙の真実とは全く関係がないんだよね。

ってことが腑に落ちちゃったら、
そんなちっちゃなモノサシに自分を合わせて怯える必要はないことがわかります。

「だって!善悪の基準がないと人間はダメになっちゃうじゃないか!混乱が起きて無秩序になって悪がはびこってダメになる!!」

という怖れさえも、それこそがまさに、思考が作った概念にすぎないということがわかっちゃったら、そんな心配もする必要がなくなります。

善悪のモノサシを外す。
つまり「いい」「悪い」を外す。
そうしたら何が残るか?

「そういうもの」だけが残ります。
それがあるだけです。

それを「あるがまま」といいます。

あるんだから、ある。
そうだよね。
以上。

だからここでは「善悪」によって選択するのではないのです。
「で、どうする?」かは、その時のひらめき。

「良いことだからする」のではなく
したいからする。

「悪いことだからしない」のではなく
したくないからしない。

で、どうしたいの?
で、どうする?

善悪2極のモノサシを外したら、選択肢は360度に広がるわけです。

「善悪」という刷り込まれた「他人の基準」ではなく、その時の自分の感性で選択することができます。

それでもいいし、これでもいい。
そうであってもいいし、そうでなくてもいい。
それはそれでいい。
これならこれでいい。
そうじゃなくたって、べつにいい。
どっちでもいい。

ぜんぶ「いい」になるんです。
善悪・どっちか片側の「良い」ではなくて。
全方位の「いい」。

その選択が、結果としてぜんぶ「いい」わけですから、怖いことはありません。
それは投げやりの「どうでもいい!」ではなくて、
すべての「いい」を尊重してくつろぐことができる「どうであってもいい」ということです。

それは困ったことや問題が起こらなくなるという意味ではありません。
そういうことが起こったとしても「いい」と思えるということです。
そうすると実のところ、それほど困ることもなくなるともいえるんですね。

「いい」とは別名「大丈夫」ということです。

これが、「善悪を超えている段階」。
人間の意識はこういう進化があり得るのです。

「善悪ワールド」から「善悪超えたワールド」へ。

別名「ダメになるワールド」から「大丈夫ワールド」へ。

それは意識のスイッチが切り替われば移動することができます。

そのワールドは、自分の外にあるのではありません。
自分の意識が作り出しています。

「だってそうは言ったって社会が、周りが・・・」ではないんだよね。
その自分が見ている「社会・周り」こそが、自分の意識が作っているワールドの舞台設定なのですから。

自分の意識が切り替われば、見ている舞台も変わります。
その設定を切り替える鍵が、自分の中にガッチリ入り込んでいる「善悪」という思考のプログラムを見抜いて、気付いて、外していくプロセス。

それをビリーフリセットといいます。

とはいえ、私たちは一瞬のうちに「善悪」「良い悪い」で揺れ動きます。
離れようと思ったって、そうは簡単に離れられない。
それも事実です。
それほどまでに、私たちの中に強固に埋め込まれた回路だということです。
だからこそ、意識的に、意図的に、リセットする練習が必要になります。

見抜く、気づく、離れる。
見抜く、気づく、離れる。
なんども、なんども。

そういう新しい回路ができてくることで、思考の作った世界の狭さとたわいなさを実感していくでしょう。
そうやっていくうちに、だんだんとあなたの住む世界が移行していくでしょう。

善悪ワールドで、罪悪感とともに生きるか。

善悪超えたワールドで、くつろいで生きるか。

さあ、どっちを選びたいですか?

 

 


この記事を書いた人

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大塚 あやこ

心理コンサルタント/作曲家/ピアニスト
一般社団法人ビリーフリセット協会 代表理事
 
東京芸大作曲科卒業後、演奏家・作曲家として活動。アーティストのツアーサポートや編曲、アニメやドラマのサントラ作曲等を手がける。
 
音楽での燃え尽き体験をきっかけに、心理カウンセリング/セラピーへ転身。
悩みの根本原因に迫るオリジナルメソッド「ビリーフリセット®」を提唱し、前に進みたい人、人生の転機に直面した人などを新しいステージへと導く個人セッションや講座を開催。「ビリーフリセットで人生が変わった!」という人多数。カウンセラー養成講座も開催し門下の認定カウンセラーを多数輩出している。
その他、心と意識をクリアにするサウンド瞑想など、独自の立ち位置で音楽制作やライブイベント等も行っている。

◎一般社団法人ビリーフリセット協会代表理事
◎淨音堂株式会社代表取締役

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