「子どもの頃、ピアノを習ったことがあるひと〜」と聞けば
「ハーイ!!」
おそらく、たくさんの手が上がるはず。
「ピアノの先生がこわくてイヤだったひと〜」
「はぁい・・・!」
これもおそらく、かなりの手が上がるはず。
実際私が出会った中で、
「昔ピアノを習っていた。でも先生がこわくてイヤだった。」と言う話を
何人もの人から聞きました。
おそらく全国的に統計をとっても、そういう回答は一定数を占めるのではないかと勝手に想像しているんですが・・・。
でも、なんでピアノの先生ってこわいんだろう?
これからは私の仮説です。
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こわいピアノの先生はよく怒る。怒るからこわい。
なんで怒るか。
できないから。間違えるから。わかってないから。練習してこないから。
ですよね、たぶん。
怒るピアノの先生は、できないことが許せない。
生徒が間違えると、とっても気に障る。
なんで許せないか。気に障るか。
自分自身が、できないこと・間違えることを許されない世界で育って、
その世界で必死に努力してがんばってきたから。
自分自身にも、できないこと・間違えることを許していないから。
できない人、間違える人は「ダメな人」だから。
そんなものを許していたら「ダメになっちゃう」に決まってるから。
ダメになるわけにはいかない、ダメにさせるわけにはいかないんです。
だって、先生の、そのまた先生も、
できないこと・間違えることを許してくれなかった。
その先生に怒られないように、嫌われないように、ついていけるように
必死でできるように、間違えないように、努力してきたから。
そして大人になって、その先生がもういなくなったその後も、
自分自身の中に「できないとダメッ!間違えたらダメッ!」という
こわいバーチャル先生がしっかり見張っているから、
なんてったって自分自身ができないわけにいかない。
間違えるわけにはいかない。
自分のことを許せない分だけ、他人のことも許せないものなんです。
それとともに、先生になったその人は、先生になれるくらいだから
きちんとがんばって努力ができた人です。
「できるように、間違えないように、がんばればできる!努力すればできる!
できないんだったら努力が足りないからでしょ!
それくらいやってあたりまえじゃないの!」
そんなふうに自分に厳しくできる人です。
だから、練習もしてこないで、努力もしないで
できないで、間違えてばっかりいる生徒さんに腹が立つんです。
あたしはこれだけやったわよ。それくらい当たり前なのよ。
そんなんじゃ甘いのよ。ふざけんじゃないわよ。
心の中にはそんな情念が渦巻いているかもしれません。
こわいですね。キツイですね。
でもね、そのこわい先生も、たぶん心の奥では
できないで間違えてばっかりの生徒さんを叱りつけるたびに
自分の心の奥深くに埋もれている
「できないで間違えてばっかりの、小さいあの頃のダメな自分」を
叱りつけているんです。
こわい先生に怒られて、こわかった、傷ついた「小さいあの頃のダメな自分」は
何年たってもずーーっと心の奥でこわがっているんです。
こんな自分じゃダメなんだね? わかった、がんばるよ。あたしがんばるっ!
と涙目でがんばっているんです。
ほんとはね
先生もこわいんですよ。
先生も傷ついているんですよ。
切ないね。愛おしいね。
でも、それを克服しようとがむしゃらな努力をしてこれた
パワフルな人でもあるんですよ。
えらいね。すごいね。
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そんな、こわいピアノの先生をめぐる物語。
思いついてみました。
あくまで私の仮説です。