カウンセリングやセラピーで、クライアントさんと向き合う時間のことを、
セッションといいます。
私が現在行っているのは、1対1の「個人セッション」。
お一人お一人の話をじっくり聞き、心の探求の道筋をご一緒する90分〜120分です。
セッション。
音楽の世界では、ジャム・セッションなどともいうように、
よく知られている言葉ですね。
ミュージシャンが集まって、簡単な道筋だけ決めて
あとはその場で即興的に演奏を繰り広げます。
私はこれまで音楽家として活動してきて、
そのようなセッションにも、とても馴染みがあります。
あるテーマをめぐって、それぞれの楽器の人が出す音を聴いて
その場の感覚で応えていきます。
「ふむふむ、なるほど。」淡々とした相づちから、
「へえ〜、それってこういうこと?」と、まねして言い返してみたり
「それだったら、これはどう?」と提示したり
「思いきり自説述べまくり、どうぞ!」というソロ・タイムもあったり
それについて、「やれやれ!それそれ!」と盛り上げる周りの人達がいたり。
聴く、応える、聴く、応える・・・
全て、音の中で行われていることですが、
そんなふうにして、気持ちが通じたり、増幅したりして
スイングし、グルーヴし
場のエネルギーが盛り上がっていきます。
そんな音楽のセッションの感覚を、私は知っています。
そして今、セラピストとしてセラピーのセッションをさせていただくようになり、「なんでこのことを、セッションというのかなあ〜」と素朴に思ったりします。
でも、考えてみると、この「セッション」には、
あの音楽の「セッション」と通じるものがあるかもしれない・・と感じるのです。
普段カウンセリングやセラピーなどに縁のない方にとって、
カウンセリングというと、どんなイメージでしょうか。
何かアドバイスや励ましや慰めを言われるのかな?という
イメージをお持ちの場合もあるかと思います。
また、セラピーと聞くと、何か悪いところを見つけ出して治すとか正すとか
そういったイメージがわいてくるかもしれません。
しかし、私がこれまで学び、そして現在行っているカウンセリングやセラピーは
そのようなことをするものではありません。
こちらの意見やアドバイスを述べたり、目先の励ましをすることもありません。
ありのままを「そうなんだね〜」と受け止め、
その方がすでにお持ちのものを一緒に見つけ出し、
隠れていたものに「出てきて大丈夫よ〜」と声をかけ、
苦しい思いをさせていたものの正体を共に発見し、解放し、
「これからこうしたい!」というその方自身の意志を祝福して応援する・・・
そんなかんじです。
それは「治療」などではなく
新しい自分と世界への見方を発見し
古い枠から出て
より自分らしく幸せに生きることへと向かう
さらに一歩、人生のステージを上がるための「体験」といえます。
それは、すべてその方の中から出てくるものと、
セラピストである私との呼応によって、即興的に化学反応しながら進む
マニュアルのない共同探求・共同創造のプロセス・・・
まさに「セッション」なのです。
聴く、応える、聴く、応える・・・
言葉と、イメージと、時には音と、若干の技法を交えて、
2人の間に、地図のない旅がはじまります。
聴く、応える、聴く、応える・・・
テンポ、タイミング、調子、言葉の数
集中しながら、なおかつリラックスして、
インスピレーションをキャッチしながら、一つ一つ最善を選んでいく。
お互いの間に心が通えば通うほど、
場はスイングしていく。グルーヴが深くなる。
音楽と一緒です。
時には笑い。時には涙。
リアルなドラマです。
そうやって、スイングし、グルーヴしたセッションは、
最後に本当にパーッと視界が開けて、新しい世界が広がったような
驚きと喜びの着地を迎えることができます。
確かに私は、セラピストとしてはまだスタートしたばかり。
でも、このセッションの感覚、
実はけっこう体験していたかも、って思います。
音楽のセッション、セラピーのセッション
本質的には、やってることはそんなに変わってないかもしれません。
全く別の場所に来てしまったようで、実はつながっていた・・・
そう思って、ちょっとホッとしている今日この頃です。