誰にも知られず
人知れず見えない取り組みを
してくれている人が
実は私たちを支え
守ってくれているのかもしれない。
そんなことに
思いを馳せてみるのもよいだろう。
この世界の平和と人の心の安寧を
毎日祈ってくれている人たちがいるから
私たちは今日も普通に
平穏な1日を
過ごせているのかもしれない。
人間の集合無意識の闇を
見えない次元でコツコツと
浄化してくれている人たちがいるから
私たちは今日も普通に
無頓着に自分のことだけを
考えていられるのかもしれない。
何も起こらなくても
何かが起こっても
そんな営みがあるかどうかも
そのことのお陰なのかどうかも
わからないし
誰の気にも留められることはない
見えないところの
見えないはたらき。
見えないが故に
「ある」とも認識されない。
認識されないからといって
それをやめることはなく
お陰様と言われないからといって
無頓着な人たちを責めることもなく
やるべきお役を淡々とやる。
気づいてしまった人間が
それをやるのがお役割。
意味があるのかないのか?
報われるのかどうか?
そこじゃない。
気づいてしまったから
心が動いてしまったから
心の指し示す方へ
やる。動く。
お役割とは
そういうものかもしれない。
そんな無数の人たちが
この世に存在することに
思いを馳せてみる。
そして私もその中の
小さな一人であるのだろうことを
受け入れてみる。