自信がある
自信がない
自信を持つ
自信をつける
自信を失う
自身が崩れる・・・
自信てなんだろう?
自信は
自分を信じること。
自分を信頼していること。
自信は2本立てだ。
Doingの自信と
Beingの自信。
Doingの自信
Doingの自信は、
今までやったことのないことや
できなかったことに挑戦して
やってみた時につく。
ああ、やれた。
自分で、やれた。
そう感じた時に
「私にも力があるんだ」って思えて
「自信」が持てたり
「自信」がついたり
するんだね。
だから、Doingの自信は、
とにかくやってみないとね!
ってことなんだ。
やることでつく。
やらないとつかない。
「自信がないから〜」
と言ってやらないと
永遠につかない。
やらないから自信がないんだよ
ってことなんだよね。
だから「やれよ!」ってことなんだ。
でもDoingの自信には限界がある。
「やること」でついたものだから
いつも「やる」とセットなの。
じゃあ
やれなくなったら?
やらなかったら?
なーーんにもしないでいたら?
けっこうグラグラするんだよ。
やらないことやできないことが
怖くなるんだよ。
それで「自信を失う」ことになる。
その時に、もう一つの
「Beingの自信」が問われる。
Beingの自信
私がここにいる、ということ。
私が私である、ということ。
私が何ものでもない「生命」である、こと。
その生命がたしかにここに存在している、ということ。
ここに存在してる生命が思い考え語り行為する、
それでいい、ということ。
そのことを
何よりも誰のことよりも
信頼していること。
この私だから、いいんだ。
そのことを信じて
堂々とただここにいられるか。
それがBeingの自信。
この自信は、
どっかから「つけて」くるものじゃないし
持とうとして「持つ」ものでもないし
時が経てば知らないうちに「つく」
っていうのもちょっと違うかな
って感じる。
Beingの自信は
「つく」ものというより
「やる」ものかもしれない。
自分を信じるということを
自分が「やる」かどうか。
自分が自分を「信じる」と決めて
意思を持ってやるもの。
でもあり、もっといえば
自分の意思とは関係なく
そこに満ちているもの・・・・
かもしれない。
そんなかんじが
Beingの自信。
これがあれば、Doingの自信は
あってもなくても
まあどっちでもいい。
生きる上では楽でいられるだろう。
2階建てが最高かも
でもね
これだけでもたぶん
生きていることの半分でしか
ないのじゃないかと思う。
人間は創造する生き物だし
創造して発展するのが
世界の摂理だろうから。
ほんとうにBeingにくつろいだら
自ずと何かを創造したくなるのが
生命なんじゃないかと思う。
だから
Beingの自信の上に
Doingの自信が
2階建てで乗っかったら
最強だと思う。
最強であり、最高であり、最幸。
生きることはすごく楽でありながら
すごく充実する。
そういうわけで
「いるだけでいいんだよ〜〜」
も真実だし、同時に
「いいからやれよ!」も真実。
両方を併せもっていけるといいなあー
って思います。
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