先日、日本音楽心理学音楽療法懇話会というところの講習会に行ってきました。
私は初めての参加。
世界4大音楽療法を考える ー各理論の特徴・長所・短所についてー
というテーマが、とってもピン!ときたので、ぜひと思ったのです。
ちょっと専門的になりますが、
ノードフ=ロビンズ音楽療法/分析的音楽療法/GIM/行動療法的音楽療法
というそれぞれ特徴のある理論があり、
それぞれ専門に実践されている先生方のレクチャーや質疑応答、
さらにかなり刺激的な議論にまで発展して、とても勉強になりました。
進行役の二俣 泉先生は、良く通る声でたいへんパワフルにお話される方。
鋭い切り口の視点に「おお!」と思うことしばしばでした。
議論された中で印象的だったこと。
・現状、それぞれの理論/実践者が住み分けていて、意外とお互いの接点がない。
・今後それが統合される可能性はないのか。それとも触れずにおくのが適切なのか。
・どうしても自分の分野の理論で全てを解決したくなる。それがセラピストの「罠」。
その「罠」があることをセラピスト自身が自覚していることが大切ではないのか。
・「この症例にはこの理論が適切」等を判断できる、各理論全体をさらに見渡す
メタな理論が今後必要ではないのか。
などなど。
はあ〜、なるほど。
音楽療法の世界でもそういう「流派の違い」のこだわりや葛藤があるのか〜。
いやー、二俣先生のおっしゃること、
K.ウィルバーの「インテグラル」っぽくてワクワクするな〜〜。
ホント、どこの世界でも結局ここにぶつかるんじゃないでしょうか。
一生懸命やればやるほど、知らず知らず
「自分のやっているコレこそが一番!」という枠にはまりこんでいく。
全部その方向から見て、それで解決つけようとする。
そして、それ以外のものに分け隔てをするようになっていく。
これは音楽療法に限らず、全ての人間にとって「罠」だなーと思うんです。
自分のやっている「それ」
自分のいる「そこ」
それもまた、数多くの視点の中の一つであり、
広い世界の中のある一つの地点でしかない、ということ。
それを自覚する「メタな視点」をいつも持っていたいなー、とつくづく思います。
そして、できうるならば、
その時その場で臨機応変にいろんなものを使い分けたり、
また、自由に合わせ技にしていく、引き出しの広さ深さを
身につけることができたら最高だな・・・と。
だって、要はぶっちゃけ「目の前のその人が幸せになればいい」んだから。
いやいや、私はまだ初心者なので、
実情わかって言っているわけじゃないんですけどね(^ ^;;
ひゃー、生意気ですいません。
しかし、今後の自分の方向性も含め、大いに考えるヒントを頂いた勉強会。
大学の枠だけに留まらず、「今の現場」の風を感じさせてもらえるこういう場に
これからも積極的に参加していこうと思いました。