演奏をしている時、どんなことを考えているか。
おそらく最上の状態は、考えるというよりは、完全に「今、ここ」を味わって感じていること。
今、聴こえている音。
今、動かしている手。
今、出ている音。
今、感じていること。
一瞬一瞬の「今」の連なりが
ただただ流れてゆく、音楽という時間。
音楽は時間芸術だと言われます。
時間というのは
一瞬一瞬の「今」が
ものすごい早さで流れていくもの。
いつも「今」に在ることが、リアルな音楽の流れと共に在ることなのではないか、という気がします。
演奏していてたまに、こういう状態を経験することがありますが、そういう時は、何も考えずにただ、気持ちのよいものです。
一つ一つの音と自分自身が完全に通じているような。
リラックスしながら、ただ楽しんでいるような。
楽しいというより、喜びというかんじかもしれません。
「今」を感じ、「今」に在るということは、思考から離れているということです。
なぜなら、思考というのはいつも「過去」のことか「未来」のことのどちらかだからです。
私たちは、どうしても思考します。
やってしまったこと、過ぎてしまったことにとらわれます。
「あちゃー、間違っちゃった、やば!」
「うわ〜、こんなことやっちゃった、恥ずかしい。」
「まずい、立て直さなきゃ、どうしよう・・・」
「よしよし、今のはいいぞ、この調子!」
そして、まだ来ないこの先のことも先回りします。
「次、どうするどうする。どうしたらいいの・・」
「来るぞ来るぞ、難所が来るぞ!」
「無理かも。やっぱ無理かも。」
「よしっ、次こそうまくやんなきゃ」
そんな時、私たちは「今」にいない。
過去に心を残し、未来に心揺れる。
それはすべて「思考」の中だけで起こっていることです。
思考の中にいる時、私たちは
後悔、恥、焦り、失敗感、自責
などに足をとられ
心配、不安、身構え、緊張、重圧
などにさいなまれる。
そういう時の私たちにとって、音楽とは
「たいへんなこと」「えらいこっちゃ」
になっています。
「喜び」というかんじではありません。
でも、それはとっても当たり前のことです。
音楽でなくたって、普段の生活で私たちはいつも、「過去」と「未来」という思考に足をとられてばかりですから。
思考に執着して足をとられることが
苦しみの元になる
という考えに、私は全面的に賛成です。
だからこそ昔から、禅や東洋の思想、あるいはその影響を受けたトランスパーソナル心理学などでは
「今、ここ」を生きる
ということを一生懸命言っているのであり、その探求に最大の価値を置いているのだと思います。
というわけで、音楽の練習は
いかに「今、ここ」を生きることができるか
という練習になりえます。
音楽において、その鍵はおそらく「聴く」ことにあるような気がします。
どれだけ、今聴こえている音に自分自身を専注させていけるか。
つい「過去」と「未来」でバタバタしている自分に気づき、そのたびに「今、聴こえている音」「今、感じていること」に戻ってくる。
そんな「今、ここ」を生きる練習をすることが、音楽と一体になる喜びを味わう道へとつながっていきます。
☆旧ブログ「大人の音楽レッスン」より
2013年11月に書いた記事を加筆修正しました。