あけましておめでとうございます。
元旦、鎌倉・材木座海岸に行ったら
地元漁船が大漁旗を掲げていて華やかでした。
この元旦の海は
なんだか不思議と「光」が印象的で。
私の今年のテーマは「クリアーな光」
というキーワードが浮かびました。
心のどこにフォーカスするか?
心のことを語る人、教える人はたくさんいます。
心理系だったり、スピリチュアル系だったり、宗教系だったり
それぞれいろいなアプローチの傾向があると思います。
たとえば
1.空(くう)とか非二元(ノンデュアリティ)にフォーカスして、悟りを語るものもあるし
2.量子、宇宙、多次元、なんていう方にフォーカスするものもあります。
3.愛とか光とかにフォーカスして、そこに安らごうとするもの、それを引きだそうとするものもあり
4.願望実現にフォーカスして、ポテンシャルを拡大しようとするものもあり
5.思考や感情や、自我・煩悩などにフォーカスして、それを整理解体していこうとするものもあります。
他にもさまざまあると思いますが、どれが正しくどれが間違いということではなく、おそらくすべてが多面的な一つの真実であり、それぞれの段階において正しいのだと思います。
その上で、自分がどこなのかと言ったら
私はねえ、やっぱり5なんですよねえ。
ビリーフリセットとは、まさに人間の自我と煩悩のメカニズムに向き合い、そこから脱出していこうというアプローチに他なりません。
私は個人的にこれを「煩悩滅消系」と密かに呼んでいます。
煩悩とは、人間の自我構造ゆえに、そして人間が思考と感情を持つゆえに、こんがらがって錯綜してしまった心のもつれ構造のことであり、それによって生み出される苦しみ諸々のことです。
あくまでも私の定義ですけれど。
人間はあまりにも、この煩悩構造の中に絡みとられて、身動きがとれなくなり、たくさんの苦しみ悲しみに自らはまりこんでしまっています。
確かに人間の根底は、愛であり、存在そのものは光なのだと思います。
究極言ったら、多次元かもしれないし、空なのかもしれません。
けれど、多くの人は、そんなこと急に言われても実感がないでしょう。
それもいいけど、今この生活は、現実は?
てなるでしょう。
愛や光やワクワク、エネルギー、それもすばらしい。
いいんだけど、その前に
それを感じとれず、受け取れず、信じられない、
そんなことより、今しんどい、今苦しい、
今心はドヨンとして、無力感いっぱい・・・・
なんていう状態だったら、どうするんだ?
って私は思う方なんです。
そんな状態で、愛とか光とかワクワクとか、
言ってらんない人だっているよね?
願望実現、確かにしたいけど
実現しようとするそばから
それを阻む「もう一人の自分」が立ちはだかって
アッサリ諦めてる人だっているよね?
そうなるにはそうなってるわけがあるのです。
それは、今現在、心に余計な荷物がいっぱい溜まっていて、
煩悩構造にガチガチに絡め取られているからです。
お部屋で言ったら、荷物もモノもゴミも山積み、足の踏み場もない状態、っていうかんじ。
そこにいきなりキレイなお花や、ステキなインテリアグッズを買ってきて飾ったって、お部屋はキレイになんないわけですよ。
それよりまず片付けようよ、掃除しようよ、ってことですよね。
閉めっぱなしにしたカーテン開けて
窓開けて換気して。
長年締め切った部屋に慣れていたら、窓開けるのだって勇気がいるもんですよ。
そして、たまったガラクタをより分けて、捨てるべきは捨てるんです。
つまり、断捨離、ですね。
私は、心もそんなかんじだと思うのです。
心の「断捨離」
愛とか光とかワクワクとか、キレイなものを求めるのも、すばらしいです。
でもキレイなものを求めていれば、めんどくさい自我のもつれや煩悩構造が自然になくなるか?といったら、そんな生易しいもんじゃないんじゃないのかなーって、私は思います。
自我構造、煩悩構造ってのは、ほんとに手ごわいもんです。
それはもう、おそらく人類数千年、もしかしたら数万年規模で堆積して組み上がってしまったものだから。
それが確実に、自分の人生にもガッチリと組み込まれて、数十年を生きてきているわけだから。あなどれないですよ。
しかも無意識レベルなので。
ほっといたら気づかないところがまた厄介です。
だから、やっぱり心も、カーテン開けて、窓開けて換気して、
たまったガラクタ直視して、より分けて、捨てるべきは捨てる。
ある程度、そういう断捨離のプロセスは必要じゃないかと思います。
もちろん、そんな人類レベルの途方もないものを、全部解消しようっていうわけじゃなくてね。
解消できるかどうかはともかくとして、それをちゃんと自分で「わかっている」こと、自覚しているかどうかが大事じゃないかと思うのです。
無自覚だったら、無自覚にずっとそれをやりつづけるまま、そこに居続けるままです。
自覚して、それを意識的により分けることができるようになって、
やっとその奥から
雲間から青空がのぞくように
愛とか光とか、ワクワクとかエネルギーとかのリアリティが、力を持ってくるのではないかという気がします。
で、そんな「自我・煩悩の直視、より分け、断捨離」のプロセスを行うのに、やっぱり「愛や光」の実感があると、強力なバックアップになるんです。
その実感を拠り所にできると、「自我・煩悩」もいっそう扱いやすくなります。
だからこそ、愛や光を感じるアプローチも必要で
結局、両者は持ちつ持たれつなんですよね。
「愛と光」アプローチ、「煩悩滅消」アプローチ、
どっちが先ということはなく
たぶん陰陽一如のようなものかもしれません。
クリアーな自分になる
で、最初の話。
心を語る人、心のことを教える人。
それぞれのお役がありますから
「空や悟り」から語る方も必要でしょうし
「愛や光」から語る方も必要です。
で、私はどうも「自我や煩悩」から語る人なんだなー
と改めて思う年初なのです。
片付ける方に興味があります。
スッキリすることが気持ちがよいです。
いろいろ足すより
余計なものを引く方がしっくりきます。
クリアーさ
というものに、私はとても憧れます。
片付けて、引いて、スッキリしていった先の
クリアーな心
クリアーな思考
そんな状態がとても好きです。
クリアーな光
クリアーな青空
クリアーな水のゆらめきと輝き
そんな光を美しいと思います。
というわけで、2017年
心理のフィールドでは、ビリーフリセット®を軸として
音楽のフィールドでは、作曲家/演奏家として
クリアーな自分になる、あるがままを生きる
そんなコンセプトをテーマにしてゆきたいと思います。
みなさま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年1月以降の講座やセミナー、セッション等については、次回のブログでお知らせします。