感謝
愛
思いやり
共感
・・・といった言葉は
当然のように
「よいこと」「すばらしいこと」だとされています。
それどころか
「人間としてあたりまえ」
みたいにさえ
思われているかもしれません。
でもね、
それらがあまりにも
「よいこと・すばらしいこと・当然のこと」
だとされているとね、
苦しむ人が必ずいるんです。
「自分はそれができていない」
と思っちゃう人たち。
う・・・わたし、ほんとは
感謝できない
愛なんてわからない
思いやりってどうすれば?
共感て何?
・・・と胸の奥にうっすらと
後ろめたい思いをする人たちが。
だよね。
そんなもの、私わからないよっ!
って言いたくなる人がいたって
全然おかしくないよ。
で、それはちっとも悪くない。
感謝も愛も
思いやりも共感も
できてない気がしたって
よくわからなくたって
悪くないからね。
大丈夫だよ。
だってしょうがないんだもの。
たくさん事情があって
そうなっているんだから。
そういうこと
ほんとはわからない人なんて
実はゴマンといるよ。
口には出さなくてもね。
ほんとはわからないのに
無理して「しなきゃ!しなきゃ!」
ってがんばるから
ややこしくなるんだよ。
小さいころからガマンばっかりしてたら
感謝なんてしようがなくなるよ。
小さいころから愛された実感がなければ
愛なんてよくわからないよ。
自分が精一杯でゆとりがなかったら
思いやりなんて湧いてこないよ。
傷だらけの心を必死に守らなきゃ
生きてこれなかったら
共感なんてできるわけがないよ。
それだけ精一杯なんだから
わからなくって当然だよ。
できなくて当然だよ。
感謝できないことに
おびえなくていい。
愛せないことに
おびえなくていい。
思いやりを持てないことに
おびえなくていい。
共感できないことに
おびえなくていい。
感謝だ
愛だ
思いやりだ
共感だ!
って
あまりにも世間が言うからって
感謝の気持ちになってない自分を
愛がよくわからない自分を
思いやりのしかたを知らない自分を
共感を覚えない自分を
心の奥でとっても責めながら
感謝しているふり
愛情深いふり
思いやっているふり
共感しているふり
なんかしなくていい。
それは自分の本当じゃないのだから。
そんな本当じゃないものを
必死に振り回すより
感謝の気持ちになってない
愛がよくわらかない
思いやりのしかたを知らない
共感を覚えない
そんな本当の自分で
ただ静かにそこにいる方が
ずっといいよ。
悪びれるでもなく
開き直るでもなく
拗ねるでもなく
ただ、そのまま
「あー、今の自分にはないなー」って
ただただ
普通〜にしててみて。
ただそれだけだよ。
それでもいいんだよ。
「今の自分には」
っていうところがポイントよ。
元々根本的にないとか
この先も永遠にないとか
そういうことを言ってるんじゃない。
今のあなたには
それどころじゃない別の大切なことが
あるってこと。
ガマンばっかりしてた自分に
「よくがんばったね、もういいよ」
って言ってあげよう。
もう大人なんだから
少しワガママしたっていいんだよ。
愛された実感がなかった小さな自分の
悲しさも寂しさも怒りも
ちゃんとわかってあげよう。
一緒に泣いてあげたっていいんだよ。
精一杯でゆとりのない自分のために
自分が喜ぶことをしてあげよう。
自分のためにしてもいいんだよ。
傷だらけの心を癒すために
誰かの助けを求めてみよう。
一人で抱えなくていいんだよ。
そんな大切なことを置き去りにしたまま
感謝だ
愛だ
思いやりだ
共感だ
なんて
言えるか!っての。
知らん!つーの。
するべきだ
で無理して作った「感謝」や
小さな頭で考えた
「愛」みたいなことや
人の顔色うかがってるだけの
「思いやり」や
同調してみてるだけの
「共感」や
そんなもんなら
なくていい。
本当にそう思ってないなら
ただ静かにしていればいい。
自分自身の「本当」を
責めもせず
恥じもせず
焦りもせず
ただそのままにして
静かにそこにいれば
たまには本当に
ニコッと笑える瞬間だってあるよ。
たまには本当に
グッとくるような瞬間だってあるよ。
そこに
あなたの本当の愛が
はからずも
キラッと光るんだよ。
それで十分じゃないか。
そこが、いいんじゃないか。