心理の世界でよく言われる「投影」という概念が理解できると、これまで謎だったことが解けることがあります。
昨日はその観点から、生きづらい女子の皆さんに多く起こっている、母と娘のもつれについて書きましたが
こちらの記事
お待たせしました!今日は男子編、父と息子のお話です。
投影とは:自分が嫌っていたり許してなかったりする自分の中の性質を、他人や出来事といった自分の「外側」に、まるでスクリーンのように映し出して見てしまうこと。無意識なので気がつかないのが特徴。 |
「弱さ」が嫌いな、ニッポンの昭和のオヤジ
必ずみんなに当てはまるわけではないですが、私のカウンセリング現場経験でけっこうよく出会うケースです。
仕事はまじめ。わりとおだやかで優しく、いわゆる「体育会系オラオラ男子」とは真逆のタイプの男性。
わりとITに詳しかったり、理知的なかんじだったり、感性が繊細だったり、見方によっては「草食系」と言われるようなかんじだったりします。
こういう方が「自分に自信が持てない」とおっしゃるのです。
「この自分じゃダメな気がする、こんな自分は社会に通用しない気がする」ともおっしゃいます。
よくお話を聞いていくと、共通点は「父親がこわい」こと。
だいたいの場合お父さんは、仕事ひとすじ、あんまり笑わず、強くて頑固。
自分がけっこうできる人なもんだから「できて当たり前」という基準が高く、息子にも高い基準を要求して、めったにほめない。
世の中とは!仕事とは!男とは!みたいな規範意識が強く、それに外れるものは受け入れない。
「男たるもの、強くなければ、できなければ!」と当たり前に信じているから、できないことや弱いことがめっぽう嫌い。
感情なんてものは弱音であり「めめしい」ものだから、一切切り捨て。
「男は泣くな!」と言われて育ってますからね。
悲しいとか寂しいとか辛いとかの感情なんて「オレにそんなものはない!」と思っています。
結果として、家では、黙ってるか、お酒飲んでるか、怒ってるかのいずれか。
・・・みたいな。
要するに、いわゆる典型的な「ニッポンの昭和のオヤジ」ですね。
けっこうこういうお父さん持った人、多いみたい。
私もそういうお父さんの話は山ほど聞いてきたから、もうどれが誰のお父さんの話だったかサッパリ覚えてません。
印象としてはみんな同じですね。
それほど典型的ということです。
タイプの違う息子が投影先になる
さて、そんなお父さんの元にですね、繊細で優しいおっとりタイプの男の子が生まれてきたと思ってみてください。
どうなると思いますか?
お父さんは「男は強くなければ!できなければ!」一辺倒の人です。
「感情なんてめめしいもんはオレにはない!」と思ってる人です。
それはつまり、自分自身の中にある、弱さ、できなさ、繊細な感情(特に悲しい寂しいこわい辛い、など)を嫌って切り捨てているということ。
ということは、その切り捨てたものが「投影」を起こすのですね。
繊細なタイプの息子は、ささいなことで泣いたりおびえたり寂しがったりします。
ベタベタ甘えたり、ヘラヘラ笑ったりもするでしょう。
繊細で創造的な発想をして、インドアな遊びを好んだりするんです。
おっとりしているから、いろんなことをやるのに時間がかかったりもするんです。
それを見るとね、こういうお父さん、めっちゃイライラするんですよ。
息子のことが、
弱い、頼りない、めめしい、できない、
って見えるんですね。
それは自分自身が嫌って「ないこと」にした、自分の部分です。
それを自分とは違うタイプの息子の上に投影して、ものすごく嫌な気分になるんですね。
そして不安になります。
男なのに、こんなんじゃ社会に出て通用しないんじゃないか。
しっかりさせなきゃいけないんじゃないか。
何よりお父さん自身が、「強くなければ社会に通用しない」と信じて、一生懸命強い男であろうとしてがんばってきたからですね。
でも、お父さんには「内面を見る」という回路がありませんから(笑)、そういう自分の側のカラクリには全く気付かず、息子にぶつけます。
「なんだ、男のくせにめめしいな。もっとしっかりしろ!シャキッとしろ!ほら何やってんだ、もっとテキパキできるだろう!」
そういう衝動が止まらず、ハッパかけるつもりでつい厳しくしたり、どなったり、手をあげたりしてしまいます。
お父さんにやたらに当たられる息子さんというのは、そういうことだったりします。
それは息子にとっては「そんなお前じゃダメだ!」というメッセージになるんですね。
だって、元々の性質を否定されることになるのですから。
そりゃあ、自信がなくなるのも無理もありません。
父親は社会の象徴
深層心理的には、父親というのは「社会」の象徴だといわれています。
子供にとって、最初に出会うのは親ですから、それはもう絶対的な「世界」そのものです。
特に父=社会ですから、「父親に受け入れてもらえない」という思いはそのまま「社会に受け入れてもらえない」ということだと、その子の潜在意識では解釈されるのです。
ですから、こういうタイプの男の子さんは、自分を「社会に適合できないダメな人間」と思ってしまうこともよくあります。
「なぜなら、自分は弱くて、細かくて、男らしくなくて、感性がヘンだから。」と。
それは全部、父親自身が嫌って切り捨てた性質、ゆえにそれを息子の上に見て責めた性質です。
はい、投影ですね。
しかしそんなカラクリがあるとは誰もわかりません。
父親から飛んでくる数々のダメ出しを、あなたはそのまんま信じて、自分がダメなんだと思い込んでしまったね。
だからこそ、もう気付いてもいいのです。
あなたが悪いんじゃない。
あなたが変なんじゃない。
ただ違うだけなんです。
父親とは、タイプが違うだけ。
父親の価値観に合わなかっただけ。
「社会に不適合」なんじゃない。
「父の好みに不適合」だっただけ。
父の投影の向けられ先に
なっちゃっただけだった!
「自分は社会に不適合」と、いつのまにか「社会」全部に広げてしまったその解釈を、「ウチの父」という一人の男の価値観にすぎなかったのだ、と縮小してみてください。
社会って実はもっと多様だし、いろいろなんです。
さて、その上で。
社会について、少し語りましょう。
これからの社会は「女性性」がキーワード
しかし実際、これまでの社会は圧倒的に男社会。
つまり「男性性優位」の社会だと言われています。
男性性とは、肉体の男女とは関係なく、この世界を作っている性質のことで、たとえば、
理性、左脳、合理性、強さ、前に行くこと、切り開くこと、突出すること、押す力、行動、決断、切り分け
・・・などの性質です。
なんとなくイメージわかります?
理性と力、ゴリゴリしたかんじ、いわゆるオラオラなかんじ。
これは良い悪いではなくて、こういう力があるからこそ、現在の社会はここまで発展してきたわけです。
ドンドン、バリバリ押し進めていくのは男性性の力です。
ただし、その反面、男性性が行き過ぎた側面とは、争いや破壊です。
自然を壊し、つながりを切り捨て、感情を置き去りにし、いのちがないがしろにされて、究極、地球環境破壊といった現実も生まれることになりました。
ガチガチの企業社会で多くの人が心身を病んでいくのも、この過剰な男性性の論理に人間が縛られていることに起因すると言えます。
だからこそ、この過剰な男性性優位の時代に限界が来ていることを、最先端の鋭敏な人たちはもう感じ取っています。
その次のキーワードが「女性性の取り戻し」であり、「男性性と女性性の統合」です。
女性性とは、
感性、右脳、融和性、柔軟さ、繊細さ、あるがままにすること、受容、共感、つながり、育てる、見守る、包む
・・・などの性質です。
特に「感性」を取り戻すことについては、今、本当に切実に求められています。
感性こそが、人間のいのちとエネルギーの本質であるということに、多くの人が気づきはじめていますし、
近年流行っている「ワクワクすることをしよう!」などのメッセージが広く受け入れられているのも、感性優位で生きることへの潜在欲求があるからです。
感性・女性性を取り戻し、健全な理性・男性性と統合して、理性と感性がバランスよく響きあうこと。
それは一人一人に呼びかけられている課題でもあり、私たちの次の時代・社会に問いかけられていることでもあります。
人間、男女を問わず、繊細さや感性の細やかさ・豊かさは、本来誰もが持ち合わせているものです。
繊細でやさしいタイプの男の子さんは、それが表に現れている量が多いのです。
別の言い方をすれば、女性性をちゃんと持ち合わせた男性ということです。
それは統合の時代においては、すばらしい資質なんですよ。
時代の最先端です!
いかんせん、お父さんはホラ、昭和だから!!
ゴリゴリ男性性でしか生きてこなかった人だから。
そんなことは理解できるはずもありません。
だから、もういいんですよ。
あの世代は、あの世代の価値観。
その価値観で作った「男性性社会」でシノギを削ってゆかれたらいいでしょう。
そして、私たちはもう次の時代を生きています。
時代の価値観は激変しているんです。
そして、新時代の価値観を作っていくのは、他ならぬ私たち世代です。
かつてゴリゴリのお父さんに「男らしくない」と怒られた、繊細な感性を持つあなたが、その力を発揮していく時代です。
そのあなたでいいんです。
そういう男性でいいんです。
男性性と女性性をが絶妙にバランスした人間の全人的な力を発揮して
ぜひ新しい時代を作る一人になっていってください!