「自信がない」と言う時
多くの人は
「できない」とか
「やってもよい結果が出るとは思えない」
ということを言っています。
つまり
できない、とか
よい結果を出せない とか
そういう力を自分が持ってない とか
そんな時に
「自信がない」っていうんですね。
そう考える時
「自信」というものが
できるか、できないか
結果がよいか、悪いか
それによって左右される。
グラグラと揺れ動く。
そういうことになります。
あるいは
「自信がない」と言う時
多くの人は
「自分がやったことを人が評価してくれるとは思えない」
ということを言っています。
つまり
自分がいいと思ったって
人からは違うって言われるに違いないとか
人には認めてもらえない とか
評価してもらえるような自分じゃない とか
そんな時にも
「自信がない」っていうんですね。
そう考える時
「自信」というものが
人の評価や判断によって
減ったり、増えたり
グラグラと揺れ動く。
そういうことになります。
つまり「自信がない」とは
自分の感じたことを信じていない
ということ。
自分が感じたことなんかより
他の誰かの感じたことの方が正しい。
他の誰かの目の方が確かだ。
他の誰かの判断の方が強い。
そう思ってる。
自分が感じたことなんかは
ちっぽけで
間違っていて
つまらない
取るに足らない。
そう思ってる。
その時
自分のことを信じるより
他人のことを信じているんだね。
ということは究極
他人や周りの存在が
圧倒的に大きくて強くて有力。
自分の存在なんて
壊滅的にちっぽけで弱くて無力。
自分でそう思っていることを
「自信がない」っていうんです。
だからこそ
本当のところ
自信は「つける」ものじゃなくて。
何かを足せば、つければ
得られるものなんじゃなくて。
他人や周りの存在が
圧倒的に大きくて強くて有力。
自分の存在なんて
壊滅的にちっぽけで弱くて無力。
たしかに私たちは子供だった昔、
壊滅的にちっぽけで弱くて無力でした。
その時の大人や家や世界は
圧倒的に大きくて強くて有力でした。
でも、子供は成長して大人になるんだよね。
大人になったら、
自分も大人だし、周りも大人。
あれほど大きくて強かった親も、
同じ大人。
実は同じなんだよね。
みんないろいろあるし
いろいろないし
いろいろ背負ってるし
いろいろすばらしいし
いろいろ変だ。
でも、そのことに気づかないまま
無意識の深いところには
相変わらず
「ちっぽけで弱くて無力な自分」という自己像が
無期限で有効に作動しているのです。
だからいつも
自分をちっぽけで弱くて無力な側に置き
人と世界を圧倒的に大きくて強くて有力な側に置いて
独りおびえて縮こまる。
そして
自分よりも
人と世界の方が正しいと信じるから
「自信がない」と言う。
自信とは
自分のことを信じることです。
結果を信じるんじゃなくて。
他人を信じるんじゃなくて。
結果がどちらであろうとも
他人がどうであろうとも
自分の力を信じる。
自分の感じ方を信じる。
自分の存在を信じる。
それは誰かが「くれる」ものじゃない。
どこかから「つける」ものじゃない。
自分で自分のことを信じないかぎり
自信にはなりません。
どうであろうとも
自分は確かにここにいる。
ここにいるから大丈夫だ。
そのことをちゃんと信じていられることを
「自信」というのだと思います。