止まること、撤退することを嫌がるマインドは、多分に危険を孕む。
目指すものがあろうとも、状況から判断して撤退するべき時というのもある。
山岳史上最大の事故といわれた、日本陸軍の「八甲田山雪中行軍遭難事件」。
明治27年、青森歩兵第5連隊は対ロシア戦の訓練として、総勢210名で雪中の八甲田山行軍演習を行なった。
当初、地元村民が行軍の中止を進言し、どうしても行くならと案内人を申し出たそうだ。
しかし一行は案内人を断り、決行。
その後、山の天気は急変して吹雪に。
一部からは中止撤退の声があったものの、それを押し切って強行し、結果として数日間も山中を彷徨った末、210名中199名が帰らぬ人となった。
止まることや撤退すること、降りることを、「逃げ」とか「意気地なし」とか「弱さ」であるかのように思い込んでいると、後に引けなくなる。
蛮勇と根性で前に進むだけが「強さ」だと思い込まされた人は、実は脆い。
あまりにも強くそう思い込んでいると
撤退して降りることが、自分が勇気のない弱虫の側に落ちてしまうような気がすることに、たいへんな恐怖を伴うからだ。
「これまでやったことが無駄になる」という過去への執着が、止まることを妨げることもあるだろう。
弱さや虚しさを感じるくらいなら突進した方が楽・・・という、マインドのトリックが潜んでいるがゆえに
そこに足を取られて道を誤る人も、過去どれほどいたことだろうか。
もともと「男性性」とは、高みを目指して挑戦する性質がある。
無理を押して挑戦することに、アドレナリン的な高揚感と闘争心をかき立てられるマインドが、男性性には備わっている。
それは健全に使えば素晴らしい力となるけれども、それだけしか知らないと命取りになる。
だからこそもう一つの側、「女性性」に類する「あるがままを受け入れる力」も共に育っていることが、男女問わず人間存在にとってとても重要なのだが・・・
そんな概念はあるべくもない、男性に男性性のみが求められた「地の時代」のお話。
おそらくそんな集合的なマインドの悪循環が、悲劇の輪を回したのではないかと推測する。
命と存在とあるがままを大切にする
という、もう一つの
「透明な強さと勇気」
も知っていればね・・・
しかたなかったね
かわいそうだったね
苦しかったね
怖かったね・・・
雪の山中、無念に果てた男たちの悲しみをそんなふうに感じた
私のささやかな八甲田山、初冬の旅。
遅い初雪に迎えられ、山中の快適なホテルで、そんな昔に思いを馳せてみたのでした。