「あの頃」に作られる鋳型
母はよく「あなたはわかってないのよ!」と言った。
子供の頃の私は「わかってないのよ!」と言われると、バン!と壁でシャットアウトされたような拒絶感と無力感でどうしようもなくなった。
母は機嫌が悪くなると「わかってないのよ!」という思いをぶつけるのは、元はと言えば母自身に、親にわかってもらえなかった痛みがあるからだと、今の私ならわかるけれど。
そういうわけで私は、「あなたはわかってない」と言われた時の、自分の未熟や至らなさ、理解の足りなさをすごく恥じて胸がズキンとする感覚と、それが理由で幻滅されて人が離れていってしまう幻想の恐怖を、いつまでも鋳型として持ち続けた。
それが大人になっても「マズイ!私はわかっていないと思われた!」と受け取りやすい傾向と、それによる「一人冷や汗劇場」を、折に触れて再現することにつながっている。
この劇場に入り込んでしまうと、自分を責めながら消え入るような恐怖に苛まれることになる。
それがどんな「演目」をやってる「劇場」かは、その人個人の気質や幼少期の体験によるのでそれぞれだけれど。
だいたいいつも同じ演目のロングラン公演になっているはず。
こんなふうに、今の大人の自分が「傷ついた」とか「落ち込んだ」とか感じてヤバくなる時って、もうほとんどそれは子供の頃の傷つき感情の再生なのだ。
そのカラクリがわかっていれば、その感情を観察しつつ「ン??これはいったいいつのヤツかな?」と考えてみることができる。
そして、気がつけば気がつくほど
「あー、またそれか!」
「おお、結局これもそこか!」
「うわあ、まだ出るか!」
といったかんじで、その根深さにあきれる思いがする。
で、とりあえず、それでいい。
それがわかっていればいいのだから。
痛みの奥に強みあり
こんなふうに、人にはそれぞれ、心にグッサリとくる「地雷ワード」がある。
他の人にとってはなんともなくても、自分にとっては地雷大当たり。そんなこともある。
私にとってのその一つは、そういうわけで「わかっていない」なのだ。
こうしてエニアグラムでいうタイプ5の「わかる、知ってる」ことへの補償的執着が完成するんだね。
それによってタイプ5は、知の人・調べる人・考える人・深堀りする人、になる。
「わかる」ために。
そんなにもわかりたいのはなぜかというと
「わかってない」の痛みから逃れるため。
自我っていうヤツは、そうやって痛みから逃れる術をなんとかして見出して、けなげに生き延びていく。
「役にたたない」という傷を持つ人は、もう傷つかないために、とっても役にたつ人になる。
「わがまま」という傷を持つ人は、もう傷つかないために、とっても他人のために尽くす人になる。
「感じやすい」という傷を持つ人は、もう傷つかないために、全然感じない人になる。
私のようなエニアタイプ5にとって、「わかっている」人であろうとすることは、もう傷つかないための武器。
だから、知る、調べる、磨く、考える、洞察する、深める、極める。
そこにこだわる人になる。
そしてね。
人生の不思議は、それがいつしか強みになっていくところ。
だからタイプ5の強みは、知。
知識・技術・思考・洞察・専門性を深堀りして極めていくところ。
もちろん、それぞれのタイプごとにいろんな痛みと、それゆえの強みがある。
武器が愛を表す道具に変わる
そんな自分の心を理解して、自分の中にすでにあるものを認め、自分の中の愛に気がついていくと、身につけてきた武器を、本当にほしかったもののために使えるようになる。
私にとって本当にほしかったものとは?
聞きあうこと。
わかりあうこと。
共感しあうこと。
つながること。
かつて得られなかったからこそ、ほしかったものを、今のご縁に自分が投げかけていく。
「うん、わかるよ。」
「そうだよね、そうしようね。」
心をこめて、それを人に投げることができる。
「わかってない!」の痛みがあるからこそ
わかりあうことの有り難さがわかる。
痛みゆえにかつて武器だったものを
こんどは愛ゆえに
平和の道具に変えて使うことができる。
「それってこういうことなんだよ」
「こう考えられるよ」
「こうしてみるといいよ」
「そういうことは任せて!」
磨いて蓄積したものを、そうやって人のためにわけてあげることができる。
そうやって人とつながることができる。
知の力を愛によって使うことができる。
みんなにとって、そういう逆転の道が用意されている。
地雷の裏に宝あり
人生って、そんなふうに
痛みを強みに、強みを愛に、
変えていくための
壮大な仕掛けが組まれているようだ。
だから、人生の最初に味わった痛みは、宝探しゲームの初期設定だから。
そんな痛みを持って育ったことは、無駄でも恥でもなんでもなくて、後々解くために、そういう設定から始めてるっていうこと。
それをヒントに宝探しが展開していくんだね。
地雷の裏に宝あり。
その宝は、世界のために用意されているもの。
あなたが掘り出すことで、世界に輝きが一つ増える。
その宝を探すために
今日も誰かがあなたの地雷を踏んで
そのありかを教えてくれているんだねー。
参考記事: