どうしても行動するのが苦手な人っていますね。
いつも考えているだけで、体が動かない。
行動したいとは思うけど
どうしても怖くて腰がひけてしまう。
いろんな理由がついて
結局だいたいいつも、何もしないで終わる。
前に進むよりは、止まる方を選ぶ。
出るよりは、引っ込む方を選ぶ。
こういうタイプの方には、
無意識レベルで強力にはたらいているポリシーがあります。
無意識ですから、もちろん自覚はありません。
でも、いつもこれが発動します。
それは
しない
言わない
関わらない
やらなければ安全だ。
という信じ込みです。
私はこれを
回避の「3ない原則」と呼んでいます。
つまり
しなければ危険を回避することができる。
と信じているということであり
危険を回避することこそが
人生で一番大事なことになっているのです。
人生の目的は
危険を避けること。
嫌な目に合わないこと。
無意識ですが、
そういうポリシーになってしまっています。
危険とはなんでしょうか。
それは
失敗すること
怒られること
嫌われること
悪くいわれること
ダメになること
衝突すること
動揺すること
波風立つこと
などです。
回避タイプの方は、とにかくこれを避けたくてしょうがないわけです。
なぜなら
もしもこれらの事態にぶつかってしまったら
自分が足りないということや
無力であることや
価値がないということや
悪い人間だということを
ガツンと味わうことになってしまうから・・・・
そう信じているのです。
実は、心のもっと深いところで
本当に恐れているのはこっちの方です。
自覚はなくても、ね。
そこだけはぜったいに感じたくないから
なんとしても避けなければならないのです。
だから
しなければ
言わなければ
関わらなければ
そもそもそんな思いをしなくてすむ。
そのために
しない
言わない
関わらない
という「三ない原則」を頑なに守って生きるのです。
こういう状態にある中で、やみくもに
「行動しよう!チャレンジしよう!」
と頭でゲキを飛ばしてみたって
まず体は動かないでしょう。
行動して何かが起きることよりも
行動しないで何も起こらないことの方を
無意識は、絶対的に望んでいるからです。
つまり、とっても怖がりさんなんですね。
そして、とっても摩擦や軋轢を嫌う
平和好きな人なのだともいえます。
そういう意味では、
優しく調和を好む穏やかさを持っているという美点でもあります。
しかし、現時点で
その根拠となっているのは「恐怖」です。
失敗する
怒られる
嫌われる
悪くいわれる
ダメになる
衝突する
動揺する
波風立つ
その結果、嫌な思いをする。
思考の中では、常に
まずそういう危険と恐怖を前提としています。
そうやって恐怖の予測を立てた上で
恐怖を避けることが「平和」だと考えているということです。
でもね、それは本当の平和とは違います。
だって、心の中を感じてみてください。
心の中は本当に平和ですか?
いつも、誰かに何かされることや
何かが自分に降りかかって被害をうけることや
ちっぽけな自分が翻弄されてダメになっていく未来図に
怯えているのではありませんか?
それは本当に平和といえるのでしょうか?
そうじゃないよね?
そうやって「ならないように」回避して
得られたかのように見える平和は
「とりあえずの平和」です。
怖いことがまだ起きていない
嫌な思いをまだしていない
という「とりあえず」です。
ぜんぜん伸び伸びしてませんね。
楽しくありませんね。
そもそも、何にも起こらないのが一番いいんだったら
なんで生きてるの?
人生何しに来たの?
なんで人間やってるの?
・・・て私は思いますね(^ ^)
いろいろあるのが、人間であり
この世界であり、人生だから。
いい思いがあって
いやな思いがある。
両者はイーブンです。
そして、いろいろあって大丈夫なんです。
本当に平和な心とは
たとえ失敗しても
怒られても
嫌われても
悪くいわれても
ダメになっても
衝突しても
動揺しても
波風立っても
自分という存在は大丈夫だし
なんとかしていける
他人という存在も大丈夫だし
なんとかしていける
世界も大丈夫だし
なんとかなっていく
そう信じられることです。
つまり、鍵は
「大丈夫」
ということ。
これを信じられるようになったら
回避の「三ない原則」なんてすぐ崩壊して
いろいろやりたくなります。
行動しなきゃ!とか気合い入れなくても
なんか動いているでしょう。
自分と他人と世界に
「大丈夫」と思えること。
ここに至るためには
いろいろな自己探求のステップを踏んでいく必要があるのですが
今すぐそうなれなかったとしても
ここを目指してみましょう。
そんな世界もあるのかなー・・・と
思ってみましょう。
それが、本当の平和への道です。
自己探求とは、
今ここにいながらにして
そういう世界へと変わっていく道です。